藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

挑戦するリーダー。

ブラックジャックによろしく(1) (モーニング KC)

ブラックジャックによろしく(1) (モーニング KC)

エラー
もう五年も前、「最先端の売れっ子マンガ家が既得権益に挑戦するらしい」と聞いた。
応援する弁護士もいた。
それが佐藤秀峰だとすぐに分かった。
マンガの中身も、著者の姿勢も、「そうした挑戦」そのものだったのだ。

それから、その作品の中身も既存のエスプリッシュメントに対して挑戦的であり、またそれを「マンガ on Web」などで具体的に行動に移して現在にいたる。

「志望者が100人いるとしたら、プロになれるのはその内の1人いるかどうか」で「週刊連載をできるのはその100分の1」、「不眠不休でひたすら机に向かい続け、針の穴程の細い確率をかいくぐり、やっとの思いで連載のレギュラーシートを勝ち取った結果が、このようなものであることに、僕は矛盾を感じます」と憤る。

そういいながらも、ある意味日本の文化の一翼を担う「マンガ文化」を支える人たちがひきも切らないのは、実は非常に奥の深い魅力が、この媒体にはあるからであり、その本当の認識は、まだ日本でも世界でも得られていないのだと思えて仕方がない。
一部の国でブームになっているマンガは、実はこれから新しいジャンルの作品群になっていくに違いない、と一ファンの立場から思えて仕方がないのである。

さらに佐藤氏は、著作の利用についても解放をしてしまった。
自らの利権ともいえる権利を、「先に開放してみる」という商売の常識の逆をいく方法を、「一線のプレイヤーが実際にやり始めた」ということの意味は大きい。

ビジネス界でも、また他のどの世界も「最初の一人」は狂気も持ち合わせたヒーローなのである。
こうした「権利保有者」の果敢な試みを、「愉しむ側」は決して腐してはならないと思う。
「まずやってみる」という姿勢を示したリーダーに対し、敬意を払った態度でそのコンテンツを楽しむ、という良識が今度は我われ一般市民には問われているのだ。
こんどは、日本の読者のすごさをぜひ海外に知らしめようではないか。

■原稿料、印税システムの常識破った漫画への愛

 「働けば働く程(ほど)、貧乏になる仕事があってよいはずはありません」
 「ブラックジャックによろしく」の著者・佐藤秀峰は、彼が「漫画 on Web」を立ち上げるに至った経緯を記す著書「漫画貧乏」で、そう断言する。

 月に80万円の原稿料に対し、8万円の税金、47万円のアシスタント人件費、それぞれ10万円かかるスタッフ食費と画材・資料代、12万円の家賃・光熱費……壁の薄い木造アパートの6畳間で隣室の生活音に晒(さら)されながら、自身の生活費を勘定に入れずになお赤字の漫画連載を続けたデビュー当時を、彼は冒頭のように振り返るのだった。

 原稿料とは別に単行本の印税が入るから大丈夫、代表作『ブラックジャックによろしく』(講談社)はピーク時には初版100万部を超えているから大丈夫、平均視聴率が十数パーセントのドラマ化作品だから大丈夫……等々、佐藤秀峰というひとりの漫画家の財布だけを考えれば、先の計算は帳尻が合ってお釣りがくると見えるかもしれない。だが、そんな作品は「全体の1%もありません」と彼は言う。「志望者が100人いるとしたら、プロになれるのはその内の1人いるかどうか」で「週刊連載をできるのはその100分の1」、「不眠不休でひたすら机に向かい続け、針の穴程の細い確率をかいくぐり、やっとの思いで連載のレギュラーシートを勝ち取った結果が、このようなものであることに、僕は矛盾を感じます」と憤る。

 その憤りが、作品の発表の場となる出版社の者たちや、同業の他の漫画家たちからどのように見えたかはわからない。快哉(かいさい)を叫ぶ外野には見えぬ、同書に書かれぬ細部の事情もあるかもしれない。だが、大事なのは、矛盾に憤った著者が「漫画家と出版社が対等な関係を築ける組織を作れないだろうか」と考えて数年後、「全財産を使い果たす覚悟」で、?誰でも簡単にオンラインブックを作って公開したり、登録されているオンラインブックを無料で読んだり買ったりできる?Webサイトを作ったことだ。それが「漫画 on Web」である。

 そんな佐藤秀峰の姿は「ブラックジャックによろしく」の主人公の姿に似ている。
 研修に訪れるそこここで、それぞれに?こういうものだ?とされている、秩序とも惰性とも呼べる既成概念に、ひとつひとつ躓(つまづ)き抗(あらが)わずにはいられない?研修医=青二才?の姿。世知に長(た)けて現状の社会に適合した者たちからは不合理で独善的な暴走に見えるかもしれぬ、暑苦しさすれすれのその?熱さ?は、「僕はこのままじゃ嫌だ……/だから闘ってやる……/理屈なんてどうでもいい……/自分の感情を信じる……」と主人公に独白させる唯一にして最大の動機であり慟哭(どうこく)である「僕は……医者が好きなんだ!!」という一言に支えられている。

 佐藤秀峰の闘争も同じだ。それは?漫画が好きだ?という一念に支えられている。だからこそ僕たちは、彼の主張の当否や試みの成否がなんであれ、応援したくなる。
    *
 「漫画 on Web」の開設から3年。この9月15日に、佐藤秀峰と佐藤漫画製作所は、「ブラックジャックによろしく」の二次利用完全自由化(規約条件に従う限り商用・非商用の区別なく、無償で複製しての公衆送信や、翻案、外国語版・パロディー・映画化・商品化などの二次利用が許可される)を始めた。

 未完のまま中断されてから6年半(のちに発表媒体を移して『新・ブラックジャックによろしく』(小学館)として再開・完結した分は含まず)、サイクルの早いコミックの世界ではすでに?枯れた?コンテンツとなっておかしくない期間を経ているとはいえ、いまなおドラマの再放送が行われ、読まれ続けてもいる作品を、著作者以外の誰もが自由に商品化したり二次製作物を(原作者への権利料なしに)手がけたりしてよいというこの?自由化?は、著作者の没後50年以上と定められている「著作権の保護期間」を作者みずからが短く打ち切った試みにほかならない。

 背景には、デジタル・デバイスの時代になって訪れた、著作権とその対価のありようの大きな動揺がある。古くは音楽が、そして近年にはコミックや映像作品さらに新聞や雑誌などのテキストが、コンピューター・テクノロジーの発達に伴いデジタル・データ化された結果、複製は以前と比べてはるかに容易となった。さらにはインターネットの普及が、それらデータの不特定多数間での受け渡しを可能にもした。私たちの身辺にはいま、合法・非合法を問わず、無償で読める文字や見られる画像、無償で鑑賞できる音楽や映像が溢(あふ)れている。

 そうした変化が、古いテクノロジーの時代にはさして危うげなく思われていた?コンテンツ販売による収益の確保?や、?著作権?の概念を危うくすることは、容易に想像できるだろう。

 事実、音楽産業は、ピーク時の1998年にはCD・レコード・テープあわせて6000億円強だったソフトの生産金額が、2011年には2100億円強へと、およそ3分の1に縮小している(日本レコード協会調べ。02年から統計の始まった音楽ビデオも合計すると2800億円強)。書籍・雑誌をあわせた出版物の売り上げも、1996年の約2兆6500億円から、2011年には約1兆8000億円へと3割ほど減った(『出版指標・年報』出版科学研究所)。

 精算金額や売り上げはむろん経済状況や消費者の関心によっても左右されるから、そうした凋落(ちょうらく)がコピーの氾濫(はんらん)によるものだと一概に言うことはできないが、音楽を楽しむ人口や聞かれている音楽がわずか10余年で3分の1に激減したはずもないし、その背景にyoutubeやGroovesharkのようなサービス※1があることは疑いない。

 サービスそれぞれの合法性・違法性についてはいくつもの異なる根拠や主張があるが、要は?誰もが勝手に本を持ち寄れる図書館があり、自分が書いたり作ったりした本を持ち込む人もいれば、書店で買った本や、道で拾った本を持ち込む人もいる。利用者が、書架の本を複製して持ち帰ることはできないが、閲覧室でならいくらでも読むことができる?ものだと思えばいい。

 このように書けば、現状私たちが利用している公共図書館とさして変わらぬばかりか、プロとアマチュアとを問わずあらゆる本を収められる無限の書架を持っている点で、ある側面では?理想の図書館?に思えるかもしれない。問題は、その図書館の閲覧室がネットワークを介して私たちそれぞれの家の、玄関どころか居室と直結していて、自分の机に座ったまま閲覧室の机にも座れることだ。もはや書店で本を買って自室の本棚に収めることのほうが、よほど手間に思えてもおかしくない(しかもその図書館には、?貸し出し中?や?順番待ち?が存在しないのだ)。

 利用者の立場で言えば、便利なことこのうえなくも思えるそんな?図書館?だが、作る側にとってはそうではない。だからこそ、私的違法ダウンロードの刑罰化を含めた著作権法の改定が議論され、たとえば?違法にアップロードされたデータと知りながら、それをダウンロードして私的に利用する?行為を刑事罰の対象とする改正著作権法が成立、この10月1日から同条文が施行されたのだが(詳細は、文化庁ホームページの「著作権法改正について」に詳しい)、そうした動きに対しては、ユーザー側から様々な疑問や異議が提示されてきてもいる※2。

 そうした議論の発端となるテクノロジーやサービス、それに社会構造の変化が訪れてからそれなりの時間が経ってなお議論に決定打が出ないのは、ネットワーク・サービスの提供者とユーザーと著作者の利害が従来より大幅に乖離(かいり)して、それを摺(す)り合わせる手段やジャンルを維持するだけの収益モデルがいまだ見えてこないからだと言える(本の世界で言えば、提携図書館の蔵書を電子化するGoogle Library Projectについて、訴訟の開始から7年経ってようやくこの10月5日に和解が成立したばかりだ。同社のYoutubeと全米音楽出版社協会の訴訟も、係争開始から4年を経て昨年、ライセンス料の支払いなどで和解している)。

 冒頭見てきた佐藤秀峰のそれも、そうした過渡期における、創作者自身の実験的な試みのひとつだと言うことはできる。「漫画 on Web」での直接配信もそうだし、「ブラックジャックによろしく」の二次利用完全自由化もそうだ。

 後者を始めるにあたって彼が書いた「著作権という概念に囚(とら)われずに、著作で利益を得る方法はないでしょうか。僕は『ブラックジャックによろしく』という作品の二次利用フリー化を行ないます。その結果、どのように作品が拡散し、利用され、著者に利益をもたらすのか、もたらさないのか、その調査をしたいと思っています」という一文を含んだ「漫画 on Web」の日記にも、その意図と、過渡期を見つめる冷静な視線があらわれている。僕もまた、その「調査」と実験を、興味深く見つめる一人だ。

    *
 だが、9月15日、二次利用完全自由化に際して佐藤秀峰ニコニコ生放送とUstreamで配信した、「月刊漫画ライブ番外編!佐藤秀峰ブラックジャックによろしく二次利用解放宣言!!」を見て感じたのは、いちばん本質的なことはそこではない、ということだ。

 60分に及ぶその中継動画のなかで彼らが繰り返していたのは、「どうやって著作で利益を得るか」ではなく、二次利用の解放によって、さまざまなひとの手によってどんな作品や製品が出てくるか、そのことが「見てみたい」という言葉だった。世に「マネタイズ」なる身も蓋(ふた)もない言葉が流行(はや)るなか、著作で利益を得る方法を模索して行われる実験にあたって、彼らが心底楽しみだというふうに口にしたのが、金銭的利得ではなく?自分たちもまだ見たことがない「ブラックジャックによろしく」の姿?であること(後日談を誰かが書いてくれたら、とまで彼らは言う)。それが、ひとびとを巻き込むための表面的な振る舞いでなく、慣れない生放送のドタバタの中でも(だからこそ)あふれ出た彼らの本心であることは、動画を見てもらえばわかるはずだ。映っていたのはやっぱりここでも、「僕は……漫画が好きなんだ!!」という、佐藤秀峰の溢(あふ)れ出る?漫画愛?だった。

    *
 ?愛?なる曖昧(あいまい)な言葉がすべてを救う、などと思うわけではない。愛でゴハンが食べられるか、というまぜっかえしももっともだ。愛を口実に他者に犠牲を強いるべきでもない。だが創作物と著作権の問題に限れば、作品やジャンルを愛する創作者による優れた作品は、鑑賞する僕たちにもそれを「好きだ」と感じさせるのだし、そう感じたならばその愛情をきちんと表明する手段があればよい、と思う。感想を書いたり伝えたりすることももちろん手段のひとつだけれど、「漫画貧乏」を思い返せばそれが金銭的対価を払わなくてよい理由にはならないし、作者の生活も成り立たない。

 ネットワークを介してあまりに簡便に届くデジタルコンテンツだからこそ、その簡便さを生かして、読み終え、聞き終えた感動と愛情を忘れないうちに50円でも100円でも(もちろん、ときに1000円や10000円であってもよい)クリックひとつで決済できる、そういうシステムが、コンテンツとそれを楽しむ僕たちとの未来には必要なのだ。

 Groovesharkのようなサービスを利用して「タダ聴き(読み)できて得だった」と思うひとの存在を、ただ否定することはできないし意味がない。そのように利用できるサービスを作る企業も含め、罰則によって縛ることはときに行き過ぎを産むだろうし(少なくとも、行き過ぎへの懸念を持つひとはなくなるまい)、抜け道を探る者たちは尽きることがない。

 けれどもそのひとや企業にとっての?得?が、当の作品を作った尊敬すべき作り手の?損?で成り立ってはいないかや、その作品によって自分が感じた感動や愛情あるいは思索を裏切らないかを、問いかけることはできるはずだ(あらゆるデジタル・コンテンツの鑑賞直後に、0円を下限に任意の額を作者に送金できるシステムを切り離し不可能に実装できれば、そのコンテンツがどんな流通ルートを通ろうとも、製作者に報酬が届くようにできるだろう)。?愛?は自分のためのものではない。自分の前にあらわれた愛すべき何者かの権利と尊厳、そしてそれに対して生じた敬意を自分の都合で忘却しない(そのことによって自分が失うなにかを惜しまない)、対象のためのものなのだ。

 自分たちがまだ見たことがない「ブラックジャックによろしく」の姿を求める佐藤秀峰の言葉には、たしかに自作への、そして漫画への愛があった。そうして何年ぶりかに読み返した「ブラックジャックによろしく」もまた、読んでいる僕に感動と愛情を感じさせずにはいない作品だった。いま、二次利用解放によって無償で読めるようになったその作品に、どうやって愛情を示せばいいか(なにしろ、お金を払おうと思ってもできないのだ。それがこんなに悩ましいことだったとは!)、僕はちょっと今、困っています。
    ◇    
 ※1 会社が用意したサーバ(ネットワーク接続された大規模なハードディスクと思えばいい)に、ユーザーが勝手に音楽データをアップロード(転送・保存)し、それを別の誰かがダウンロード(取り込み・保存)またはストリーミング聴取(データを聞き手側の端末に保存せずに、ネットワーク越しに再生のみする行為)するサービス。
 
 ※2 一般社団法人 インターネットユーザー協会による『違法ダウンロード刑事罰化』への反対声明や、岡田斗司夫と福井健策の共著『なんでコンテンツにカネを払うのさ』(阪急コミュニケーションズ)、福井健策『「ネットの自由」vs.著作権』(光文社新書)などを参照。
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  「ブラックジャックによろしく」は「漫画 on Web」などで無料で読むことができます。