藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

知見の見たweb。


自分にも不明だったtwitterについての内田先生のコメント。

mixiとも携帯メールとも、機能がどこか根本的に違うような気がする。
「ダイレクトメッセージ」ではなく、「宛名のないつぶやき」に反応する人がいるということが「広大な共生感」(@大江健三郎)をもたらすのであろうか。

今、なかなか旧知識人、というか、今の40代以上のネットユーザーが持つweb観、がここに表現しているようである。
「広大な共生感」はこれからのwebのキーワードかもしれない。


そして重要なユーザーコメント。

よくわかんないけど、とりあえずは「精神衛生上よい」機能を果たしていることは間違いない。

twitterのもたらす「広大な共生感」がいい気持ち、をもたらすのであれば、webの明るい未来が垣間見えたような気もする。
いずれにしても、upper40代が、まともに最新のwebについて、真摯なコメントをする、というのも今が始めのような気がした。
webと知識の融合は、やはりこれからであろう。


内田樹Googleについて語る。


内田さんとwebそのものの見解、というのはこれまであまり露出していなかった気がする。
むしろタブーだったような気もするが、いよいよ「そこ」の議論ももちろん出ざるを得ない。(嬉)
そこでのコメント。

「グーグル問題」について、いろいろ意見を訊かれる。
私の基本的態度は「テクノロジーの進化は止められない」というものである。
とくにグーグルのビジネスモデルは「利用者はサービスに課金されない」というものだから、より実用的な情報環境を求める利用者の不可避的増加を止めることは誰にもできない。
「グーグル以前」の世界標準でデジタル・コンテンツについて考えてももうほとんど意味がない。
どうすればいいのかと凄まれても困るが、「すでにグーグルが存在する世界」に生きている以上、「グーグルを勘定に入れて」暮らすしかない。


内田さんは、ブログにコンテンツを発表しだした十年前から、すでに「著作権フリー」を標榜していた。
それが、今のweb時代には当を得ている。
それこそが先見の明、であるが、まあそれはともかく。


内田さんの議論とか態度は、Google的な「知の自由」を、自らのコンテンツを以て体現できるかどうか、という踏み絵のようである。
JASRACはもちろん、色んな作家の妄想の集合体であるから、そんな断定はできない。
だからこそ、個別の作品の作者に、「恐れず、作品を解放せよ」ということを体現するリーダーなのではないかと思う。
現にそんなリーダーが、世の読者や出版社の支持を得て、数々のプライズを授かっている。


もうすでに時代の価値観は「そっち」へ向いているのだろう。
まだ世間の制度が、それに追いついていないのだ。

別にJASRACが「悪い」と言っているわけではなく(ちょっとは思っているけど)、それよりは「音楽について言及したり引用したりするとすぐにJASRACが飛んでくるから。
とりあえず音楽について言及したり、歌詞を引用したりするのは自制しよう」というオーディエンスのわずかな「ためらい」の蓄積が「音楽で金を稼ぐ」というビジネスモデルそのものを壊滅させることもあるということである。

内田樹は、著作権業界(まあJASRAC)の行く先を予言している。
それは、またコンテンツ中心の今のビジネスの要諦でもあると思う。
「流通」「流動化」に抗った存在は、なかなか一般の支持を得にくい。
そんな言葉を感じたのである。

ビジネスというのは本質的に「ものがぐるぐる回ること」である。
「もの」の流通を加速する要素には「磁力」のごときものがあり、それを中心にビジネスは展開する。
逆に、流れを阻止する要素があれば、ビジネスはそこから離れてゆく。
「退蔵」とか「私物化」とか「抱え込み」というふるまいは、それが短期的にはどれほど有利に見えても、長期的スパンをとればビジネスとして絶対に失敗する。
ビジネスの要諦は「気分よくパスが通るように環境を整備すること」それだけである。
著作権はそれがあると「著作物の『ぐるぐる回り』がよくなる」という条件でのみ存在価値があり、それがあるせいで「著作物の通りが悪くなる」ときに歴史的意義を失う。