藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人生に必要な服の量。

服は死ぬというのは川上未映子さんの指摘である。
最近本当にそう思うようになった。

川上さんは「旅行にもいかぬし、食べ物だって何でもいい。でもね、なぜか着る物が何もないの。
本当に何にもないんだよ。


もちろんクローゼットはぎちぎちに埋まっていて箪笥(たんす)もぎゅうぎゅう、衣類のために存在している寝室ではあるのだけど、じゃあちょっと出掛けようか&人に会いにゆくときに着ていく服が、ないんだよ。


これまでの、決して少額ではない投資というか浪費というかは理屈でいうとすべておめかしに置き換わってるはずなのに、どれもすべてが鮮やかなまでに死んでいる。


そう、物によるけど、服は死んでしまうのだ。

「物によるけど、服は死ぬ」。という感覚を四十を過ぎて感じるようになった。

カウント開始。


まず一年をオンとオフ、に分けてみる。
仕事に行くオン、は年間に230日くらいだ。対して
オフ、の休日は年130日くらいである。(二十年前に比べ、ずい分オフの増えたこと!)
さらにそれぞれ衣服、という観点からは「春夏物」と「秋冬物」に分けられるから二分の一ずつ。

つまりオンの仕事着は、春夏、秋冬それぞれ計115日づつ。
オフの普段着は130÷2=65。春夏、秋冬それぞれ65日づつ。

仕事着は115回、休日は65回のサイクルで、着替えをしていることになる。
服はもちろん一着ではない。つまり
ワンシーズン(半年)115回、ということは仕事着を10着持っていれば115÷10=11.5。
ワンシーズンに「その服」を11.5回着ることになる。


オフ着は65日、これは5着あれば65÷5=13。
オフ着は一シーズン13回使うことになる。

洋服のMRP。


MRPとは(Material Requirements Planning)のことで、製造業では「所要量計算」という意味であるが。
洋服の所要量は、春夏とか秋冬、の半年で「約十回強」着られるモノである、ということか判明した。
逆の見方をすると「十回」しかお目見えする機会がない服、でもある。


自分の洋服だなを見ると、カッターシャツが約30着、スーツも秋冬分で20着以上ある。
そして、その中で体系になじまぬものとか、自分でも気に入らないものも多い。
選択と集中」が明らかに足りないことに気づいた。


これまで衣類、といか「アパレル」というものにあまり関心を払ってこなかったからであろう。

オンでもオフでも本当に気に入ったものを、数少なく身につける。

というのがいわゆる「着こなし」なのだろう、と最近自覚した。

トーナメントの「消化試合」のように「ただその日身につけているだけの衣類」と「今日も気に入ったジャケットとパンツ」というのでは明らかに気持ちも違うと思う。


一日を気分よく過ごすための工夫、というのも生活には必要だとこの年にして思う。
ちょっとだけ、お洒落もしましょう。