藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

苦悩の共有。


ある先人は言う。

「失敗」こそが自らを内省させ、また「逆境」こそが自らを戒め、慢心せぬ極意であると。

そう、言うのなら。
ちょっと「自己目的」的ではあるけれど。
「そういうの」ばかりを求めるのも一つの方法のような気がしている。


常にハードルを上げて、目標を「オールクリア」にはしないこと。
また常に「ゆるい坂道」を一歩づつ進むように、負荷をかけ続け、決して下り坂をゆくような「楽さ」を感じてはならない。
そこで「痛み」を忘れてしまうから。


ただそれこそが、自らを研さんするトレーニング方法なのである、ということになる。

悩みの科学。

また先人は言う。

「苦悩」とはそれを乗り越えられる者、だけに訪れるのである。

その「困難」を乗り越えられない者、には苦悩は訪れないのか。
つまり「その困難」を「苦悩」とする人と「しない人」に分かれてしまう。
先の「失敗」とか「逆境」とまるで同じである。


自分たちは日常に失敗とか、挫折を経験する。

それはもう、小さなことでは切符の買い方とか、お客や同僚との打ち合わせとか、あらゆることで失敗を重ねる。

そして、それを「失敗」と捉えて何か「次に」繋げるかどうか。

つまりすべての失敗とか、試練とか、困難とか。


それらは「自分の取り組み姿勢」次第で、たんなる日常の出来事に過ぎなかったり、あるいは自分にとって「忘れえぬ出来事」になったりする。
要は自分のプライドとか価値観とか、勇気次第なのである。

今日起きたミスを、「単なる偶然の出来事」と片付けてしまうのは簡単である。
だが、それを自分の内面に照らして、その原因を探り「今後の糧」と出来るかどうか。

何気ない日常の出来事を、自分のステップアップの材料に出来るかどうか。
そんな貪欲さがスキのない自分を作ってゆくのではないだろうか。

天才はすべてが、その予め与えられた「天分」に依るのではなく、そんなセンスが発達している人のことではないか、とも思うのである。