藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

問われる国の態度。


内田樹さん曰く、「そういう確たる態度」に固着せぬのが良くも悪くも日本人だというけれど。

北朝鮮による砲撃を理由に、政府が朝鮮学校への制度適用手続きを停止したことに対し、「生徒と朝鮮半島の事態は関係ない」と抗議する声明を出した。


そのうえで校長会は、教科書の記述を再検討する方針を明らかにした。

ここだけを単純に見ると「高校無償化」を餌に「拉致問題などの記述の改編」を日本が迫っている、という風に取れる。

朝鮮学校に高校無償化制度が適用された場合、文部科学省が出す予定の教育内容改善要求に対応する姿勢を示したものだ。

「高校がタダになるなら、少しは表現を変えても良い」という話はいかがなものだろうか。
と表面上は解釈できる。


けれど。
ことはやはり本質論に及ぶ。

日本が「拉致問題」とか「大韓航空機爆破」についてどういう態度をとるのか。

ということが「国として定まっていない」のである。
でも。
でも。
「それ」がこの国の老獪さだ、という気もする。
一見「潔くなさげ」な態度だが、あまり思想的、民族的なスタンスを誇張せず、つまり「あらゆる場面で一方的な主張をしない」という日本という国の最大の特徴なのかもしれない。


敗戦し、アメリカに従属したかと思えば、心底隷属しているわけでもなく、しかし国家の工業化とか金融自由化とかIT化、などの時流にはスイスイと乗って見せる。
さりとて、実はアメリカにもEUにも「心理的には心酔することなどない」というのが日本の正体である。


日本国内にいると、ついつい現政権とか、為政者へと「国民の圧力」が向いてしまうので、自分たちやマスメディアはつい体制批判に終始しがちだが、実は相当にしぶとく、したたかな民族なのかもしれない。
とはいえ、一日本人としては拉致問題、くらいには確固とした態度で臨んでもらいたい、と思うのは身びいきだろうか。
無償化とのバーター取引、というのもちょっとズルいような気がするのである。
あ、そもそも高校教育を無償化するのが良いかどうか、についてももう少し検討が必要だと思う。
勉強意欲のない若者に、無料の高校を提供するより「意欲の亢進」に予算をぜひ割いてもらいたいと思っている。

朝鮮学校、教科書記述の「改善」検討 無償化適用が前提
各地の朝鮮学校(高校段階)の校長でつくる「全国朝鮮高級学校校長会」(会長=慎吉雄(シン・ギルン)・東京朝鮮中高級学校長)は25日、教科書記述の変更を検討していることを明らかにした。
朝鮮学校に高校無償化制度が適用された場合、文部科学省が出す予定の教育内容改善要求に対応する姿勢を示したものだ。
3年後に教科書を改訂する際に記述を改めるといい、どう改めるかは今後検討するとしている。


校長会は同日、朝鮮学校の生徒の保護者団体などと東京都内で記者会見。
北朝鮮による砲撃を理由に、政府が朝鮮学校への制度適用手続きを停止したことに対し、「生徒と朝鮮半島の事態は関係ない」と抗議する声明を出した。


そのうえで校長会は、教科書の記述を再検討する方針を明らかにした。
ある学校関係者は「歴史的評価の定まっていない現代の出来事については、教科書から外すことも選択肢の一つだ」と語った。


朝鮮学校の教科書をめぐっては、大韓航空機爆破事件や拉致問題に関する記述などに批判がある。
慎会長は「誤解を与えるような記述があるならば、理解を得られるものになっていくと思う」と語った。


一方で慎会長は「個人的見解」としたうえで、文科省側が「改善」の例として挙げている日本の「政治経済」の教科書の使用や、拉致問題を取り上げたアニメのDVDの使用は「考えていない」と述べた。
(秋山千佳、青池学)
asahi.comより>