藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ながらの悪癖。


躾、とか家訓、とかは色んな形で代々遺ってゆく。
鎌倉時代から続く家系でなくとも、数代に亘って親子関係が継承されてきたなら、何らかの「家族文化」は残っているものだと思う。


その中で、最大、最悪だと思うのが「ながら」。
いつのころからか、食事しながら、移動しながら、通学・通勤しながら、飲みながら(最近トップ)、会議しながら、風呂に入りながら、トイレに行きながら…
親には「やめなさい」と言われつつ、その「マルチ性」の魅力には抗えずに今に至る。


功罪はさらにある。
「ながら」をしていると、一見「費やす時間」が増えたように勘違いするのだ。
だから買い込む本とか、映像ソフトとか、楽譜とか、そんなものが「妄想的に」増える。
けれど、「ながら」は思いのほか生産性は低い。
特に「アルコール」などを摂取しながらの読書は、まるで記憶をなくしたかのように「何度読んでも新刊本」のような錯覚に襲われ、およそ生産的でない。


けれど。
けれども。
それでも「一人ながら」は止められそうにない。
もう自分の趣味というか、快感の一部になっているような気がする。
そうした「一人の時間」を持つことが、自分の一番の快感になっているのではないだろうか。


そこで「何を生みだすのか」ということを二の次に「そこで過ごすこと」に快楽を覚える、というのは目標を見失っているようで、とてもよろしくないと思う。
今自分は、精神的に「そこ」にエスケイプしているのだろうか、などとも考える。


それでも、適度に食事を摂りながらの「同時行為」に、何か自分はとても合理的で、充実したものを感じるのである。


飲みながら、
書きながら、
歩きながら、
聴きながら、
笑いながら、
泣きながら、


そんな「ながら」については、今しばらく試行錯誤をしてゆきたいと思う。
そのうち画期的な何か、が見つかるかもしれないではないか。

「食べながら飲むと酔いにくい」理由は?
アサヒビールは25日、日本医科大の長谷場健准教授らと共同で、「『食べながら飲むと酔いにくい』のは、食べ物が胃に長くとどまることでアルコールが空腹時より多く分解されるため」との研究結果をまとめた。


研究では、水だけ与えたネズミと、食事代わりの液体を与えたネズミに、アルコールを飲ませて30分後に胃に残った量を比べた。


その結果、水だけのネズミの方が胃のアルコール残存量が少ないことがわかった。
食べ物が胃壁を守るような形で吸収を妨げたという。


アサヒは「忘年会でお酒を飲む機会が多い年末は、できるだけ食事をとりながらお酒を楽しんでほしい」と呼びかけている。

(2010年11月25日22時59分 読売新聞)