「分子の織り成す偏光発光」を専門にするという著者の研究。
科学の醍醐味を伝えるその言葉は、まさに「科学の面白さ」そのものを楽しみ、表現する溌溂さに満ちている。
新しい素材、新しいコンセプトの提供が、研究者自身も予想していなかった可能性につながる。科学の基礎研究とは、こういうものなのです。大学ならではの研究、企業にはできない研究が、大学で研究テーマを考えていくうえでの醍醐味です。
研究者自身も予想していないこと。
「科学の基礎研究とは、こういうものなのです。」
という長谷川さんの言葉に、科学者の矜持を見る思いがした。
ところで、最近は「リケジョ」こと理系志向の女子が増えているとか。私の所属する理工学部化学・生命科学科でも、少し前まで1〜2割だった女子が、今では4割ほどになってきています。
わが国には、理系は男子の世界という妙な先入観があったように思いますが、もちろん理系に男子も女子もありません。自分の研究室で観察してきたところによると、男子と女子では研究への取り組み方や、データを整頓して考えるときのグルーピングなどに違いがあるように思います。決められたことばかりをルーチンでこなすだけではなく、時には少しの遊び心が研究には必要なのですが、これについてのとらえ方も男子と女子では違いますね。どちらがいい、ということではなくどちらもいい。(中略)
その一方で、今、若者の理科離れが問題となっています。でも、人間の頭にはもともと理系も文系もない、というのが私の考え。理科や数学などの「科目」が好きか嫌いかという前に、わからないことを知りたいと思う好奇心を大切にしてほしい。そこから本来の「理科」が始まります。
「好奇心と科学」というのは人間が本来的に持っている「本能」を実に正確に説明するロジックのような気がする。
科学者である著者はそこに言及。
『人間の頭にはもともと理系も文系もない、というのが私の考え。理科や数学などの「科目」が好きか嫌いかという前に、わからないことを知りたいと思う好奇心を大切にしてほしい。そこから本来の「理科」が始まります。』
「好奇心を大切にすること。」そしてそこから本来の「理科が始まる」ということ。
ニュートンの言葉を引くまでもなく、人は元々好奇心をもち、「それを科学することの知恵」を持ち合わせているのだろう。
そんな当たり前のことを、自分たちは今の日常でも覚えておきたいと思う。
そんな「ゆったりとした時間」をついつい失いがちな現代だから、改めて自分たちの好奇心とその発露について、立ち止まってみたいのである。
レア・アースと好奇心が生んだ「偏光発光」の無限の可能性
青山学院大学准教授 長谷川美貴
世界で初めて成功した偏光発光
昨年、にわかにマスコミを賑わすようになったのが「レア・アース」という言葉です。レア・アースは主に鉱物に含まれる元素群で、電子部品やMRIなどの医療機器、そしてハイブリッドカーなど、私たちの生活に欠かせない原料となっているようです。そもそも、レア・アースとはどんなものなのでしょう。
「希土類元素」と訳されるレア・アースは、一群の金属元素の総称です。これらの金属は、埋蔵量が少ないというより、精製が難しいために入手しづらい(レアな)資源となっています。そして、このレア・アースの大部分を占める「ランタノイド」と呼ばれる元素たちは、原子内の電子の配置が特殊なため、ほかの元素にない特質を持ち、とりわけさまざまな電子部品の性能向上に、きわめて大きな力を発揮する。そのため現在では、パソコンや携帯電話などの電子機器には不可欠の素材となっているのです。
さて、実は私自身、レア・アースのひとつであるプラセオジムという金属と一種の石鹸分子を化合させることにより、ある特殊な現象を引き起こす素材を開発し、その仕組みの解明に世界で初めて成功しました。その現象とは、「分子の織り成す偏光発光」です。
ご存じのように、光は波の性質を持っています。太陽や電球などから直接届く光には、進行方向に対し、上下左右あらゆる方向に振動する波が含まれている。これに対し、特定の方向にのみ振動する光が「偏光」です。
長い棒も向きをそろえて束ねれば扱いやすくなるのと同様に、偏光がバラバラな向きの振動を含む通常の光に比べて格段にコントロールしやすいことは想像できるでしょう。カラー液晶ディスプレイなども、偏光を利用した装置です。
従来この偏光は、通常の光を特殊なフィルタに通すなどして作り出していました。ところが、今回私が生成した分子は、刺激を与えて発光させると、その光が最初から偏光になっている――だから「偏光発光」なのです。
この研究成果が、国内のみならず、海外からも注目されていることは言うまでもありません。
可能性は無限に広がる
私たちが創りだした「偏光発光膜」は、確かに世界初の画期的な素材です。しかしそれは、私たちの生活の中で、いったいどのような役に立つのでしょうか。
私がこの研究の着想を得たのは、10年以上前のことでした。だれもやっていないことをやりたい……とテーマを探す中で、あるコンセプトにもとづいて設計した有機分子を、適切な金属と組み合わせてコントロールすることで、こちらがねらった現象、たとえば偏光発光のようなことを引き起こせるのではないかという、新しい発想がうかびました。この時点で、それがどんなことに応用できるのか、正直なところまったく考えていませんでした。
さて、分子にいうことをきいてもらうためには、まず分子ととことん話し合うことが必要だと、私は考えました。その方法が、分子が発する光を分析してその構造や性質を解釈する「スペクトロスコピー」。その技術の習得に10年を費やし、ようやく準備が整ったとき、幸いにも私の温めてきたアイデアには、まだだれも手をつけていませんでした。
そこで私は、コンセプトにあった有機分子を保有する企業にアプローチし、共同研究のプロジェクトを立ち上げました。私のねらいは的中し、2007年6月、偏光発光する素材の仕組みに関わる論文発表をすることができ、プレスリリースで大きく取り上げられました。
発表された奇異な現象は大きな関心を呼び、講演の依頼が相次ぎました。その先々で、さまざまな分野の専門家が、それぞれの観点から私の研究の応用の可能性を教えてくださったのです。
まずは次世代ディスプレイへの応用。偏光フィルタとバックライトが不要となるので、軽量化、省エネ化などが期待できます。銀行のATMなどの覗き見防止機能にも応用できるでしょう。
さらに、光ファイバーに同時に2つの偏光を流すことで、伝送容量を2倍にできるのではないか。3D映像・立体視に応用できるのではないか。紙幣などの偽造防止のためのセキュリティインクの性能を向上できるのではないか……、と私自身にはとても思いつかないようなアイデアが、どんどん飛び出してきます。たぶんこれからも、可能性は広がり続けることでしょう。また、研究成果だけでなく、私たちの主題とする膜を構築する手法自体も、また別の素材を作るために応用されていくに違いありません。
新しい素材、新しいコンセプトの提供が、研究者自身も予想していなかった可能性につながる。科学の基礎研究とは、こういうものなのです。大学ならではの研究、企業にはできない研究が、大学で研究テーマを考えていくうえでの醍醐味です。
「理科」の根っこは好奇心
今回の「偏光発光膜」のように、有機分子と金属の化合物を「錯体」といいます。有機物・無機物双方の特質をあわせ持つ、あるいは有機物でも無機物でもないこの錯体を扱う「錯体化学」が私の専門、たいへん興味深い分野です。
身近な錯体の例としては、血液中のヘモグロビンや光合成をつかさどるクロロフィルなどがあります。当然ともいえますが、エネルギー問題解決につながる人工的な光合成の実現は、錯体化学のもっともホットな研究テーマのひとつとなっています。
つい最近、私の研究室では、液体の中で発光する錯体を作り出すことに成功しました。実はこれは、なんでもないように見えて、科学的にはかなり画期的なこと。そして、生体内で起こるいろいろな現象のメカニズム解明にも役立つのではないかと考えています。
ところで、最近は「リケジョ」こと理系志向の女子が増えているとか。私の所属する理工学部化学・生命科学科でも、少し前まで1〜2割だった女子が、今では4割ほどになってきています。
わが国には、理系は男子の世界という妙な先入観があったように思いますが、もちろん理系に男子も女子もありません。自分の研究室で観察してきたところによると、男子と女子では研究への取り組み方や、データを整頓して考えるときのグルーピングなどに違いがあるように思います。決められたことばかりをルーチンでこなすだけではなく、時には少しの遊び心が研究には必要なのですが、これについてのとらえ方も男子と女子では違いますね。どちらがいい、ということではなくどちらもいい。
実は今年は、キュリー夫人のノーベル化学賞受賞100周年、そして世界化学年です。女性の人材育成に力を入れようという折しも、リケジョの活躍は頼もしい限りです。
その一方で、今、若者の理科離れが問題となっています。でも、人間の頭にはもともと理系も文系もない、というのが私の考え。理科や数学などの「科目」が好きか嫌いかという前に、わからないことを知りたいと思う好奇心を大切にしてほしい。そこから本来の「理科」が始まります。