藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

体の硬度。


体の老化と柔軟性、ということを意識し始め、厄年の42歳あたりを境に関節のことを考え始めたのはちょうど三年前のことである。(ブログ、という日記はこういう検索にはとてもべんりである。)


当時は元々硬い体が年齢と共にさらに硬化し、特に下半身から「老化というか硬化」が始まっている、という実感が自分にも強くあった記憶がある。
これはいかぬ、と半ば本能的に「柔軟ストレッチ」を始めた。
最初は大たい骨の裏側、いわゆる「ハムストリング」の伸ばしから。
これが辛かった。


おそらく4〜5ヶ月の間、ただ「太ももの裏」を伸ばすために、日々ペットの上で上半身を傾ける。
最初の一カ月などは「まるで太もも裏が出血している」くらい、外傷を負ったように痛かったし、また慣れなかった。

さらに股関節。


そうした「太もも裏」のハムストリングの柔軟に取り組んでいた矢先である。
こんどは「股関節」が問題だという。
そこで専門家に診てもらうと、これまた絶望的に自分の股関節は「硬い」のだという。
まあ普通にしていれば、九十度も開かない。
というか股関節など開かなくとも何の不自由もない、くらいに思っていた。
いろいろな先人とお話するうち、幾つか驚く内容に行きあたる。


そのなかでも驚いたのが「体の柔軟性と関節」のお話だった。
日本の武術などは、古来そんな「体の関節のはたらき」を重んじていたという。
そして、現代の私たちが騒ぐ「アンチエイジング」についても、最も重要なのが「股関節と肩甲骨」なのだそうである。


それから二年余り。
股関節とハムストリングを伸ばし、ゆっくりと息を吐きながら過ごす、ということが日課になった。
まだヨガとかティラピス、の世界ではないが、十分に日々の生活の中で「自分の体のリラックス」ということを考える機会になっていると思う。


柔らかい体、は「柔らかい心」とどうように、我われのソフトウエアとして必要なものなのではないだろうか。