藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

顔の見える支援を。

震災から一ヶ月、世界各国や日本各地から支援が相次いだ。
同じ国の人間として、また同じ星に住む一員として「自分に何ができるか」ということを真剣に問うた人も、かつてなく多かったと思う。(深刻なこの災厄を前にしてこの類のコメントが驚くほど多かった)

ITの意味。


震災直後で携帯電話やライフラインが復旧せぬ中、インターネット網や掲示板、phsなどがずい分と役に立ったというのは、意外に日常の通信手段が脆弱だった、ということにも気づかせてくれたが、もう一歩進めてはどうだろうか。
「街中の募金箱に釣銭を入れる程度」以上の支援に、今一歩リーチを届けるのは、正に「今のIT」が適役ではないかと思うのだ。


被災地での支援物資に長い列ができている、という。

ブーツをもらった気仙沼女子高3年のAさんは「取り合いがすごかった」と驚いていた。

折角の支援物資が「取り合い」になってはなんともせんない。

今その人に何が必要なのか。
今自分には何ができるのか。

「水が足りない」というだけではなく、私は下着が欲しい、とか24cmのスニーカーが一足あれば、とかi-podでJAZZが聴きたい、とか。
そんな色んな声をもっと広く集めて集約し、そして整理して「もう一歩キメの細かい支援」に出来ないものだろうかと思う。


やるべきことは既存の技術で十分実現可能である。
楽天やアマゾン、ヤフオクなどのプラットフォームはそのまま利用できるだろうし、また「支援のカテゴリー分け」や商品、物資の種類や量などもいかようとも設定できる。

支援物資を届けた後の「仕分けの物流」がしっかりしていれば「マンツーマン支援システム」が出来上がるだろう。

しかも、避難している人たちの意見が集約できるから、もう少し大きなロットで「今何がどのくらい足りないか」を目で見て、自分の出来る規模の支援を積極的に行う、ということも可能である。
「医薬品と水が足りません」というだけでは今ひとつやるべきことが見えてこない。
もう少し「鮮明な要望」を反映する必要があるのではないだろうか。

適役な機関。


マンツーマンで支援する、というとネットのダークサイドのことも必ず取り沙汰されるだろう。
詐取、横領などが起きたらどうするのか、というような問題である。

と考えてみると、一番このマンツーマン支援に向いているのはfacebookだろうと思う。

facebookに特設の「支援コミュニティー」を作るか、あるいは今のプロフィールの仕様に「支援の相互意思」を表す機能を表示しても良い。


赤十字への募金もいいけれど、もっと多くの人の「何かを担いたい」というエネルギーを拾い集め、発信するのには今のITはとても有用だろう。
facebookさん、ぜひ検討してもらえないだろうか。

善意のぬくもり求めて、衣料配布に長い列 宮城・気仙沼
津波被害を受けた宮城県気仙沼市で13日、救援物資の衣料が、避難所以外の市民も対象に配られた。会場の気仙沼西高校グラウンドには約1千人が集まった。150人ずつが持ち時間10分で入場。配られた70リットル入りポリ袋の中に、靴や防寒着やセーターなどを次々詰めていった。

 主婦阿部テル子さん(66)は「孫2人の靴が欲しかった」。ブーツをもらったAさんは「取り合いがすごかった」と驚いていた。16、17両日も配布を予定している。(掛園勝二郎)