藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

深刻な問題。


義援金が被災者の手元に届かないという。
理由は「市町村と住民」の間の事務の問題で、戸籍も流失したり受取人の確認ができないという。
そもそも義援金というのが曲者である。
使うためのガイドラインが「元々」ないではないか。
「寄付」という名目で日赤などに託すのはいいが、寄付する側の意図も関係なければ、使い道も特定されにくい。
分配については

日赤や中央共同募金会など4団体と被災した15都道県による「義援金配分割合決定委員会」は今月8日、死亡・行方不明者1人当たり35万円、住宅の全壊・全焼は1戸当たり35万円、半壊・半焼は同18万円を各世帯に配ることを決めた。

というけれど、これはこれで正しいだろうか。
家族や住宅を無くした人たちが「35万円」を受け取ってどうするのだろうか。
それが最も効果的な使途なのかどうか、については一考の余地があると思う。

続く迷走。求められる憲法


そもそも、「東電が賠償責任を免れるか」とか
政府が「国費で仮設住宅を完全に補償するか」とか
疎開している人への待遇はいつまで、何を遇するか」とかの基本的なフレームが決まっていない。
決まっていないのは仕方ないとしても「何を決めねばならないか」ということは、もう決めねばならないだろう。
補償の程度や、支援の方針、財源の確保や被災地の再設計などの「グランドデザインの設計が最優先だということ」は、一つの会社をマネジメントするのと同様であり、つまり「これから」のあらゆる被災対策の、重要な理念になるのである。
憲法には基本的人権の保障、という条項があるが、追加で災害憲法のようなものが必要ではないだろうか。
「健康で文化的な生活の保障」は、こういった災害時には「どのレベルと方法で」執り行われるのか、ということは極めて重要である。

脱なんちゃって募金へ

また(先日も書いたけど)自分たちの支援も、コンビニのレジ横に置いてある箱に"ちゃりん"と釣銭を入れているだけでは踏ん張りが利かない。
一刻も早く「顔の見える支援」という形をとって、「さらに長く、義援金が継続するような仕組み」が求められると思う。
それにはfacebookなどのソーシャルネットワークが向いているし、
「コミュニティ対コミュニティ」とか
「一個人・一企業(寄付側)対コミュニティ(被支援側)」とか
「業界対業界コミュニティ」とか、非常に「多面的な支援の動機」が得られるだろう。


幼児や子供に対する支援とか、
女性に対する支援とか、
学生に対する支援とか、
お年寄りに対する支援とか、
企業家に対する支援とか、

永く続くようなインフラはネットでぜひプラットフォームになって欲しいと思う。

義援金、被災者に届かない…給付は1割未満
東日本大震災で寄せられた義援金の給付が進まない。岩手、宮城、福島の3県へ日本赤十字社などから送られた約580億円(第1次分)のうち、被災者の手元に届いたのは1割にも満たないことが、読売新聞の調べでわかった。


事務を担当する市町村側で職員が足りなかったり、住民への通知や本人確認が出来なかったりし、足踏み状態が続いている。


日赤や中央共同募金会など4団体と被災した15都道県による「義援金配分割合決定委員会」は今月8日、死亡・行方不明者1人当たり35万円、住宅の全壊・全焼は1戸当たり35万円、半壊・半焼は同18万円を各世帯に配ることを決めた。


宮城県には計約238億円が配分されたが、実際に受け取った被災者は、ほとんどいない。全職員の7人に1人が死亡・行方不明となった同県南三陸町では、戸籍が流失するなどして受取人の確認が難しいことに加え、町外への避難も十分把握できないという。「事務量が多く義援金にまで手が回らない」と、町職員から悲鳴が上がっている。


岩手県には約101億円が配分されたが、29日現在、申請を受け付けているのは、対象23市町村のうち宮古市など5市町村のみ。野田村が、県と村の独自分を上乗せして259人に計1億4002万円を渡しただけで、他の自治体では支給はこれからだという。

(2011年4月30日03時04分 読売新聞)