ギリシアの国際が「制限的デフォルト」という妙な状態になるかもしれない、という報道。
- 作者: 藤井厳喜
- 出版社/メーカー: 日本文芸社
- 発売日: 2011/06/24
- メディア: 単行本
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これまで幾冊も「経済のこれから」をテーマにした書籍を見てきたけれど、最近の優れたアナリストたちの言説に共通するものは「一回性」ではないかと思う。
色んな理屈で、今やこれからの経済の潮流を説明しきろうとすると、どうしても「過去の理論」を当てはめる必要がある。
けれど、今の状況はどうやら"過去2000〜5000年"くらいに起こったものではないらしい。
そのころには、巨大な金融市場や、それを支えるネットワーク網はなかったからである。
情報が高速に流れ、大量のデータが処理され、製造業やサービス業を支えるという「現代のスタイル」は今が初めてのモデルなのである。
「インフレターゲット」とか「マネーサプライ制限」とか「通貨切り上げ」といったhow toの部分を論じていると、ついそういう「テクニカルな手法」でこれからを乗り切れるのか、という安直な気分になるが、事態はそう簡単ではないようである。
「実物経済×金融技術×ネットワーク」のような形でマルチプルに肥大化してしまったのがいまの市場である。
「バブル経済」とよく言うが、「経済の実体に合った世界」にはあまりバブルはない。
「将来への過大な期待」をさせる何かが仕組みに現れた時に、「身の丈以上の期待値」が先行してしまうのがバブル経済なのだと思う。
従って「将来はこのくらいに成長するだろう」という希望的観測に基づいた、投機的な投資は失敗する。
それはバブルが弾けた、ともいうが「元に戻っただけ」とも言える。
「自らが耕し、自らが食べ、自らが育てる範囲を超えて影響してしまった世界」の"落とし前"をつける時期が来ているのだろう。
ともかく、既存のノウハウでこれからの荒波を乗り切れる、と考えないことが大事のように思う。
それは、生活のあらゆる分野に及び、教育とか、仕事とか、貯蓄とか、政治とか、あらゆる概念が一新される、というくらいの覚悟が必要な感じがする。
本当の価値観の変化はこれから起こるのではないだろうか。
【ロンドン=松崎雄典】欧米系格付け会社フィッチ・レーティングスは22日、欧州連合(EU)のユーロ圏17カ国がギリシャに対し、民間投資家が一定の負担を被る支援を決定したことを受け、民間負担の仕組みが実際に発動された場合、ギリシャ格付けを一部の債務が履行されない「制限的デフォルト」に引き下げるとの声明を出した。
デフォルトと判断されれば、先進国で第2次世界大戦後初めてとなる。