藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

価値観の洗練。

白物の三洋電機中国企業に売却され、アメリカ国債が初の格下げ。
一つ一つ何かが動いている。
三洋の象徴でもあった洗濯機事業を懐かしむ。


今四十歳以下の人は知らぬだろう"人間洗濯機"。
70'の大阪万博の象徴的な出し物だった。
小学生になったばかりの自分はその「未来の洗濯機」を見て、ボーっとし「そうか。未来はこんなこともできるのか」といつか訪れるだろう未来都市を夢想していた。

『繁栄は永遠に続くのだ』と誰もが信じていた、正に次世代の象徴だったのだ。

そんな風に未来を想像していた自分は、今の2011年と比べてなんと大きな差があるのだろう。
たかか40年前には、これほどのリアルな豊かさは想像もできなかったが、さらに「その繁栄に限りがある」ということは予見せず。
つくづく「心の渇望」は「その先をイメージする目を奪う」ものであると思う。
中国の友人と、これからの経済発展の話で「中国のイケイケぶりは行き過ぎではないのか」と問うたら、彼はニヤリと笑い、親指を立てて「我われは、これからですよ」と真顔で答えたことを思い出す。そして「いつかは日本も追い越すでしょう」とも。

これも経験曲線だけれど、あまり物欲を膨らませ、過剰に物質文明を追っても実は「せん無い」ということは、日本でも多くの人が感じ始めている。
今の若者(20歳以下)は、そんな新しい価値観を「地で行く」世代になるだろう。
彼ら以降は、そんな「せん無い価値観」のそのまた先に、何か新しい指標を形成してゆくだろうと思う。
そういうまだ見えぬ、なにかぼんやりしているが「徐々に固まってくるもの」こそが文化なのである。
新しい価値観は、もうすでに生まれ始めているのだろう。

さらば人間洗濯機 中国企業に売却の三洋洗濯機、歴代名機をプレイバック!
戦後日本の家庭電化の原動力のひとつといわれた三洋電機の洗濯機が来年春にも国内から姿を消す。親会社のパナソニックが重複事業の解消を目的に、三洋の冷蔵庫・洗濯機など白物家電事業の大半を中国家電大手、海爾(ハイアール)集団に売却することを決めたためだ。主婦など女性の絶大な信頼を得てきた「サンヨー」の洗濯機だが、パナソニックへの完全子会社化で、その役目を終えることになる。

「(女性は)3年で象1頭分の重さの洗濯物をゴシゴシ洗っている。この重労働を機械がすれば、きっと歓迎される」

洗濯板とタライを使うのが一般的だった洗濯事情を改善するべく、三洋電機の創業者、井植歳男社長は洗濯機市場への参入を決意した。今から半世紀以上も前のことだ。

社長室を水浸しにしながら開発をすすめ、昭和28年に日本最初の「噴流式洗濯機」(SW−53)を発売した。これが三洋初の白物家電でもあった。

評論家の大宅壮一氏はこの洗濯機の登場で「家庭電化が始まった」と述べ、同年を「電化元年」と表現した。家庭への電化製品の本格普及が始まった瞬間だ。

SW−53の価格は2万8500円と、それまで主流だった丸形攪拌(かくはん)式洗濯機の半額。「早い、簡単、便利な洗濯」をテーマに爆発的な売り上げを記録し、発売の翌年7月には月産1万台を突破して、トップシェア(占有率)を獲得した。

その後、高度経済成長期とともに日本人の生活水準も向上し、昭和35年には洗濯機の販売数が150万台を突破。同年には日本初という脱水乾燥機付き洗濯機(二槽式)を、41年には全自動洗濯乾燥機など、次々と新機軸商品を世に送り出し、「サンヨー」は洗濯機市場を牽引(けんいん)してきた。

昭和45年、三洋の洗濯機の中で最も話題となったともいえる製品が日本万国博覧会大阪万博)で発表された。「人間洗濯機・ウルトラソニックバス」だ。

未来志向の独特なフォルムと、カプセル内に座っているだけで清潔になり、超音波とマッサージボールによって美容健康の効果もある「全自動バス」とのふれこみで話題を集め、モデルの“入浴シーン”には来場客が殺到した。この技術は実際に商品に反映され、同社の介護用入浴装置にもつながっている。

三洋の洗濯機は、その後も節水や時間短縮、振動抑制などニーズに合わせた改良を重ねた商品を開発、平成13年に「電解水で洗剤を使わずに汚れが落ちる」という夢の洗濯機「ひまわり」を発表。18年には水を使わずに除菌・消臭ができるドラム式洗濯乾燥機「アクア」を発売、今でも高い支持を得ている。

アクアは、すすぎ水をオゾン水に変化させて皮脂汚れを分解する「オゾンすすぎ」や、洗濯機本体で水を循環・浄化させて再利用できる「アクアループ」など三洋が長年蓄積してきた技術が生かされている。

創業者の熱い思いを受け継ぎ、半世紀以上にわたって先進的な洗濯機を開発し続け、日本の家事を軽減してきた「サンヨー」。しかし、家電業界での生き残りをかけ、パナソニックの子会社となった今、その姿は消える運命にある。