藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

アプリの効用。

アプリケーションソフト、を身につけることによって、それまでよりはるかに「使い勝手」の増したスマートフォン
アプリの数は実に40-60万本に上るという。
アプリケーションは解き放たれたのである。(web2.0の次はこれかもしれないですね)

中でも「情報インデックス」の役割は恐ろしい。
そのアプリ単体で効果はとどまることなく、「外部の意味を持った情報群」と携帯端末を結びつけてくれる。
自分で探さずとも。
インテリジェントである。
googleはその「窓」からネット上のあらゆる世界を覗かせてくれたが、今度は「窓のすぐ内側」まで情報を宅配してくれるサービスの出番である。
グルメ情報でも、好きなアーティストの情報でも、あるいは音楽や映像・画像のコンテンツでもいい。
"情報コンシェルジェ"といえばちょっと気障だろうか。
携帯端末に乗せたアプリケーションたちは、実にそんな動きをしてくれるのである。

お好み、のすごさ

例えば、朝起きてニュースや新聞を見る。
ここには特に「自分向けのニュース」というのは存在しない。
あくまで"マス"の情報が広範囲に流されるのを視聴するのみである。
当たり前だが。


それが「自分好み」にすべて工夫されればどうだろうか。
ネットの情報ではRSSリーダーなんかがそれに近いが、まだまだ「世界中から勝手にクロールして」、さらにそれらを分類してくれるような感じではない。

自分の好みや、生活スタイルに合った、そんな情報との交流がこれからの主流になるのではないだろうか。

自分は生まれて四十数年、あまりお洒落な方ではないが、最近多くの友人から「年だから」といろいろアドバイスをもらうようになった。
ああ、一枚500円のポリエステルの白ワイシャツ。
あれが似合うのが二十代。
それがセイシュン。

話が逸れまくった。
お洒落な人は、そのTPOによって自在に着てゆく装いを変えるのだという。
何でもかんでも「紺のスーツに白シャツ、レジメンタル」というのは、どうも"装いからの逃避"ということらしい。(なるほど)

で、友人の結婚式から、仕事関係の弔事、はたまた仲間の主宰する合コンから、一対一のデートまで、「それぞれのシチュエーションの自分」を想像してベストな装いを考えるのが楽しいのだと聞いた。

なるほど。
お洒落な人、というのはそういうことに頭を思いめぐらせることが出来る人なのだ、と合点する。
それで何が言いたいか。
というと、お洒落さんは、その「思いめぐる苦労」が楽しいのだという。
まあ「装いへのこだわり」ということなのだろう。
衣服に執着が出来る人なのである。
そう聞くと、それはそれでとても羨ましいものである。


さて。
「その場て゜どのように装うか」が衣類のソフトウェアだとすれば、例えば「朝一番にはどんな音楽を聞くか」というのもソフトである。
同様に、部屋を片付けている時、とか
議事録などの文章をまとめているとき、とか
新しいアイデアの提案書を創案している時、とか
暗記モノに挑戦している時、とか
休憩してコーヒー片手に寛いでいる時、とか
数人で会議している時、などなど。
それぞれのシチュエーションで、流れていて欲しい音楽、というのは少なからず希望があるものだと思う。

いやいや、「日々の生活シーンで装いを常に変えるお洒落さん」と同様のお洒落心というのは働いているものである。
ただ行き届かないのは「いちいちその音楽環境を準備できない」などの物理的な制約のせいであろう。

いつも、その場所に、相応しい音楽を。

そんなことを実現するソフトはもう身近にできつつある。
これからの「コンテンツの時代」は「コンテンツの分類の時代」なのである。
我われが本当に価値があり「有り難い」と思えるのは、そんな"気持ちの入った"情報に対してのものだろう。


またひとつ、これからのコンテンツ世界の基準が見えてきた。
地味だが、とても満足感の高い世界が待っているのではないだろうか。