藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

本当のこと。

聖路加病院の日野原理事長が今月100歳を迎えた。
結核よど号ハイジャック事件など波乱の人生を経てなお、

『天からの贈り物をたくさん頂いてきた私は今、新たな思いで100歳からのスタートラインに立っています。』

と意気ますます軒昂。

"精神が体をリードする"。
"気持ちが若さを決める"。

そんな言葉を完全に実をもって示す最年長のリーダーである。
100歳のお立場から、過去を振り返った話をされては、自分ら五十前などまだまだ若造。
「年金なんかもらえないかも」などとまだ見ぬ山の先を見てジジむさいことを言ってはいられない。
実際、厄年とはよく言ったもので、特に男性は体力の衰退が"人生で初めて"出てくる時期があり、「ここ」で精神的にヘタレてしまう人も多いのである。

そしてこうした人の言葉や、引用は実に重い。
「年輪」という迫力を持って、他人の何倍もの響きを持ってこちらに向かってくる。

「生活は質素に、思想は高潔に」。(英国の詩人、ウィリアム・ワーズワースの詩のように)

そしてさらにプラトンを引く。

第1は知恵、
第2は勇気、
第3は節制、そして
第4は正義。

このうち第2の、勇気を持った行動こそ、これからの私の人生を強く導くものだと思います。青年が持つような熱い情熱のこもった行動力を持ち続けること、それが私の最大の願いです。この決意を読者の皆さんにも伝えたいと思います。

言うは易し。
果たして、60、80歳になった時に愚痴らず、このような精神性を保てるかどうか。
これからの10年の目標を熟慮する、という日野原さんの姿は修験者のようだが、日を追うごとに澄みきった言葉に心が洗われる思いをするのは自分だけではないだろう。

「50歳年下の後輩が聞いてなお、素直に心に沁みる言葉を発する」という部分に氏の達観を見る。
ぼやぼやしてはいられない。

asahi.comより
100歳のバーを越えて
今月4日に誕生日を迎えた私は、ついに100歳のバーを飛び越えました。

振り返ると、30歳になるまでは、結核などの病気で青白い青年でした。徴兵検査では丙種。同級生の半数は戦死しましたが、病身だった私には軍隊への召集がありませんでした。聖路加国際病院を定年退職する前には、乗っていた日航よど号がハイジャックされる事件もありましたが、韓国の金浦空港で無事釈放され、命は助かりました。

病院を定年退職してからも、今日まで、理事長として研修医や看護師の教育を続けることができています。また、様々な団体のボランティア理事長としても現役を続けられています。

天からの贈り物をたくさん頂いてきた私は今、新たな思いで100歳からのスタートラインに立っています。

5年ほど前には、自宅の書斎の改造や、40年以上住んだ母屋のリニューアルを終え、若い人を大勢招いてのパーティーができるようになりました。2020年までの10年日記の3年先、5年先の欄に何を書き込もうか、熟慮したいと思います。

ただ、いくら今まで体の調子がよかったと言っても、100歳を超えてからは、適正な食事、睡眠、運動、そして仕事量の限界も見定める勇気を持ちたいと願っています。

「生活は質素に、思想は高潔に」。英国の詩人ウィリアム・ワーズワースの詩のように、淡々とこれからを生きていければよいなと思います。

プラトンは人間の持つべき大切なもの、元徳を次のようにあげています。

第1は知恵、第2は勇気、第3は節制、そして第4は正義。このうち第2の、勇気を持った行動こそ、これからの私の人生を強く導くものだと思います。青年が持つような熱い情熱のこもった行動力を持ち続けること、それが私の最大の願いです。この決意を読者の皆さんにも伝えたいと思います。

「私の証 あるがまゝ行く」と題したこの欄も、連載を始めて10年目に入りました。読者の皆さんと共にこれからも「あるがまゝ」の人生を歩み続けていきたいと思います。