藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

今ここにある危機感。

戦後70年。
七割の若者が「現状に満足している」という。
震災もあったが、今が最大に恵まれた時代だ、ということは今生きている自分たちが一番よく分かっていることなのかもしれない。

7割の若者が今の生活に満足を感じています。これは、親世代が豊かであることが一番大きいと思います。

つまり、飢えることなく、またシリアスに選択を迫られる日常もない。
不満を言えば幾らもあるが、それが深刻なものでないことは自分たちが一番よく分かっている。
そんなヌルさのことを指すのかもしれない。

高度成長期は、若者の満足度は低かった。『今日よりも明日が良くなる』と信じられたからです。今の若者はそんな明日を信じられず、『今、ここ』で仲間と過ごす身近な幸せを大事にするしかない。

「縮小する経済」を初めて目の当たりにして、まだ自分たちは"新しい指標"を見つけられずにいるのだろうか。
しかし、これまでの指標だって、実はそれほど信ぴょう性のあるものではなかった。
そういう意味で「本当の自分の心の内」と向き合うのは、実はかなり億劫なことだったのだ。
自分は何をしたいのか。
何を為したいのか。
何を人生の喜びにするのか。
そうした本質的な問いからは、いつもわが身を遠ざけていたいものなのである。

若者に限らず、衰退していく国家とか、衰退していく会社に典型的なパターンですが、そこそこやっていけちゃうから、現状維持を続けていって、結局どうにもいかなくなって、つぶれてしまう。

「茹でガエル現象」である。
しかもそれが分かっていても、なお「一気に」行動に出られない。
「ある閾値」を超えねば、究極的な変化へと向かう"変わり身"というのは選択しにくいものなのである。

「幸せな若者は、社会に組み込まれていないことの裏表だと思うんです。貧困な若者なら、社会問題として取りあげやすいのですが、幸福な若者ってある意味、社会から降りているというか、もはや『社会に入れてくれないならもう勝手に楽しむよ。政治にも何も期待しないよ』というあきらめの裏返しです。

「幸せな若者」は実は、「社会参加させられていない、"ごまめ"のような存在」。
そんな「中途半端な世代」を今の社会は作り出しているのかもしれない。
そんな「幸せだけれど、一人前ではない」という存在は、これまでのどの時代よりも「裕福さゆえ」に出現した奇妙な世代でもある。

これからの若者は「そんな価値観」を背負って、戦後70年以降、100年、200年と生きていかねばならない。
「一番長く続く平和」を享受しながらも、「もっとも厳しい希望や縮小」を感じながら新しい価値観の道しるべを探すのが、常に「人の試練」なのだろう。
常に、"自らの拠り所を探す"。

殊更嘆くこともない。
人の一生は、世代を超えていつもそのような宿命を帯びているのではないだろうか。

7割の若者、今の生活に満足…内閣府調査 ――なぜ若者は幸せと言えるのですか。

内閣府の調査では、過去40年で最高となる7割の若者が今の生活に満足を感じています。これは、親世代が豊かであることが一番大きいと思います。50、60代は高度経済成長の恩恵を受けた『勝ち組』で、日本は今、かつてないほど豊かな時代。彼らの子供である僕たちは、インターネットや携帯電話を使え、マクドナルドや吉野家で外食し、ユニクロなどのファストファッションでおしゃれができる。昔は、スキーや旅行など、楽しみにとてもお金がかかりましたが、今の若者はそこそこのお金でそこそこ楽しめる環境を与えられ、自身が低収入でも、裕福な親に頼ることもできます」

「また、20代では結婚する人も、子供を持つ人も少なく、責任がない中で、比較的自由なことができる時期です。フリーターであっても、仕事がうまくいっていなくてもまだ何とかなると思える。30代や40代の方がつらい状況で、例えば、ハローワークも30代や40代ばかりが目立ち、求人の年齢制限も35歳ぐらいになっている。その前の20代というのは、危機感を感じにくい状況があるのかなと思います」

――将来の希望がなくなると現状に満足するしかなくなる、とこの「幸福感」の正体を分析しています。
「高度成長期は、若者の満足度は低かった。『今日よりも明日が良くなる』と信じられたからです。今の若者はそんな明日を信じられず、『今、ここ』で仲間と過ごす身近な幸せを大事にするしかない。そこまで過大な希望を抱かないで、『まあ、こんなもんだろう』ということで満足する。満足度が7割というのも、『満足』と『やや満足』を合算した数字なんですが、『やや満足』が結構あるのです。心から満足というよりは、現実と折り合いを付けているということはあると思います」

――調査票には、「どちらとも言えない」とか「わからない」という選択肢も用意されています。若者はこれを選びそうな気がしたのですが、そうではなくてあえて、より上の満足を選んでいるのはどうしてでしょう。この程度でも満足を感じないとやっていられない、という意識なのでしょうか?

「そこまで深く考えているわけではないと思います。例えば、将来がどうなるかについて、今より悪くなっていくか、こんなものなのか、良くなるか、聞いている質問もあるのですが、今より悪くなると考える20代は1割ぐらいなんですね。全年齢の平均よりもだいぶ低い。だからたぶん、のほほんとしているんじゃないかと思います。本当につらい人も結構いるとは思うのですが、大多数はそうじゃなくて、こんな日々が当分続いていくだろうという楽観的な思いを抱いているのでしょう」

不安の中身は何? 
――不思議なのは、満足を感じると同時に、不安もたくさんの若者が感じていることです。こんな日々が当分続くだろうとのほほんとしながら、不安を抱いているということですが、この不安の中身は何なのでしょう?

「あまりはっきりしていないと思います。漠然とし過ぎていて、具体的に何か行動を起こすほどの不安にはなっていない。社会学者の上野千鶴子さんが、『不安はあるけど、不満ではない』と対談でおっしゃっていましたけれども、不安はあるけど、明日から食べていけないほどせっぱ詰まってもいないという状況がある。ギリシャのような暴動につながらない理由なのかもしれません。ただ、満足度は全年齢で相当高いし、不安も全年齢で高い。若者というより、日本全体の空気なのかなと思いますね」

――上野先生との対談本(※『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください』光文社新書)では、親世代の介護に直面する不安について語り合っています。20、30年後には親も介護が必要になるかもしれないし、死んでしまうかもしれない。そうなれば、今の生活が続けられなくなるという不安も、その漠然とした不安の中に含まれているのですか。

「20代でそこまで真剣に考えている人はそんなにいませんね。親は元気ですから。20代の親って50、60代で、健康不安もなくて、逆に今一番楽しそうな時期かもしれません。退職金もらって、旅行にも行っているし。もちろんいつかは介護もしなければならないという漠然とした思いはあるとは思うのですが、具体的に何が不安かというのはなかなか言語化できていないと思います。もやもやーっとした不安が、なんとなーくあって、でも明日どうにかしなくちゃいけないというほどではない」

――ただ、将来このままじゃいられないということは気付いている感じですか。
「それは気付いている感じですね。若者に限らず、衰退していく国家とか、衰退していく会社に典型的なパターンですが、そこそこやっていけちゃうから、現状維持を続けていって、結局どうにもいかなくなって、つぶれてしまう。まさにそういうパターンなんだなと思いますね」

――日本がつぶれてしまうと若者だけではなく、皆が困ります。現状で満足して改革に乗り出さない若者が7割もいることは、別の見方をすれば、消極的だけれども、じわじわ効いてくる社会への異議申し立てのような印象も抱きます。大人たちに、このままではいけないと考えさせるきっかけに成りうるのでしょうか?

「幸せな若者は、社会に組み込まれていないことの裏表だと思うんです。貧困な若者なら、社会問題として取りあげやすいのですが、幸福な若者ってある意味、社会から降りているというか、もはや『社会に入れてくれないならもう勝手に楽しむよ。政治にも何も期待しないよ』というあきらめの裏返しです。確かに、社会に衝撃を与える状況なのかなとは思いますね」(続く)
(2012年3月22日 読売新聞)
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古市憲寿ふるいち・のりとし) 1985年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程在籍。慶応大学訪問研究員(上席)。有限会社ゼント執行役。著書に、「絶望の国の幸福な若者たち」(講談社)、「希望難民ご一行様 ピースボートと『承認の共同体』幻想」(光文社新書)など。