藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

池上彰さん、東工大講義(10)より。

池上さんの講義、だい十弾。
それにしても、たかだか17年しか経っていないオウムのサリン事件が、もうすでに「語り部」に依らねばならない事件になっている、ということは今の四十代以降は大切なことだと認識すべきだろう。
ほんの「数十年前」の陰惨な出来事だが、すでにその記憶が一般大衆には風化し始めているのである。
戦争の原因や、その過程も含め、「過去に学ぶ姿勢」は自分たちの生命線でもあると思う。


第二次大戦のきっかけから経過、また、敗戦後の高度成長期のここ五十年、そして、その後の「失われ続けている二十年」についても、きちんとした「総括」はぜひとも必要である。
自分たちは愚かな道をたどってきたかもしれないが、「その道」を伝えることは自分たちの世代の責務であろうと思う。

またこれから「かつてのオウム」がしたように、将来を儚んで「信者易い宗教」が時代を席巻することは十分に考えられる。
そんな時にも「かつての轍は踏まず」という教訓を残してゆくのが、今の自分たちの世代の責務であろうと思う。

愚かなことは、仕方がない。
だが、「それを繰り返させないこと」は、自分たちの責任である。
ぜひ、後進にはそうした知恵を引き継いでもらいたい。

そうした遺産は、数百年、千年単位では実に有用な「国民の遺産」になるのではないかと思うのだ。

知っていますか? オウム真理教の怖さ
現代世界の歩き方(10) 東工大講義録から2012/7/30 3:30ニュースソース日本経済新聞 電子版
今年6月、オウム真理教が引き起こした事件の容疑者として指名手配されていた2人が相次いで逮捕されました。オウム真理教が引き起こした事件のうち、地下鉄サリン事件から17年も経(た)っています。ここにいる学生さんにとっては、まだ物心つく前の出来事です。名前は知っていても、どのような集団で、どんな事件を起こしたのか、ほとんど知らないと思います。

オウム真理教事件では、理科系の高学歴の若者たちが多数関与していて、社会に衝撃を与えました。東工大の卒業生の中にも、猛毒のサリンの生成プラントの建設などに関わった人がいるのです。

ところが、多くの若い人がオウム真理教を知りません。オウム真理教の後継団体である「アレフ」や「光の輪」が信者を増やしています。あるいは、さまざまな団体が、大学生を引き込もうと動いています。もちろん信教の自由がありますから、どのような宗教を信じようと構いませんが、同じような危険な集団はこれからも生まれてくるかもしれません。そこで、オウム真理教のことを知っておきましょう。

■ヨガ道場から始まった
オウム真理教を始めた松本智津夫死刑囚は、麻原彰晃を名乗り、1984年にヨガの道場の「オウムの会」を開設します。その後、会の名前を「オウム神仙の会」と変え、1987年に「オウム真理教」とします。1989年に東京都から宗教法人としての認証を受けました。

この団体はヒンズー教と仏教を合わせたような教義を持っています。そもそもオウムとは、ヒンズー教の「世界を創造する神、維持する神、破壊する神」の頭文字をアルファベットにした「AUM」に由来します。オウム真理教の主神はヒンズー教の「宇宙を破壊する神」シバ神です。

ヒンズー教や仏教は「輪廻転生(りんねてんしょう)」を信じています。人々は死んでも、また別の生き物に生まれ変わるという考え方です。オウム真理教は、信者たちがさまざまな修行を積むことで輪廻の輪から脱出する解脱を得られると教え、出家して修行を積むことを奨励しました。

出家する際には、現世への未練を断ち切るため全財産を教団に寄進するように求めました。こうして教団は豊富な資金を持つようになるのです。
オウム真理教は教団施設で猛毒サリンを製造していた(1995年2月、写真は山梨県にあった教団施設)=共同

そうなると、信者に出家を強く勧めるようになり、嫌がる信者を拉致したり、信者の家族を追い払ったりするトラブルが相次ぐようになりました。そこに事件が起きます。宗教法人としての認証を得ようとしていたときに、修行中の信者が事故死してしまったのです。これが判明したら認証がむずかしくなると考えた幹部たちは、遺体を処分してしまいます。

その後、この経緯を知っていた信者が脱退しようとしたため、「事件が明るみに出る恐れがある」と考えた幹部たちは、この信者を殺害してしまいます。こうしてオウム真理教は犯罪集団へと進んでいくのです。

信者が増え、資金が豊富になることで、松本死刑囚は、政界への進出を図ります。1990年の衆議院選挙に信者を多数立候補させたのですが、全員落選。それ以来、社会に対して敵対心を強め、武器や毒ガスの生産によって、政権を転覆させることまで計画するようになります。

その過程で、松本サリン事件や東京での地下鉄サリン事件を引き起こしていくのです。
同じ目的を持つ集団が、社会から隔絶された場所で少人数での方針会議を開くと、一番強硬な意見を主張するものに全員が引っ張られる。これは、政治集団でもよくあること。オウム真理教はカリスマ指導者のもとで、常軌を逸した行動に出ていったのです。

しかし、松本死刑囚は裁判の間、ほとんど発言せず、奇矯な行動を繰り返しました。このため、どうしてこのような犯罪集団が生まれたのか、いまひとつはっきりしないままなのです。

■日本人は無宗教か?
日本社会でオウム真理教のような組織が大きく成長したことは、多くの日本人にとって驚きでした。多くの日本人は無宗教だというのが常識になっていたからです。

たとえば日本では、生まれた子どもを神社にお宮参りに連れて行き、結婚式は教会で、葬式は僧侶に読経してもらって仏式で、というのがよくあるパターンだからです。

でも、これは決して無宗教だからというわけではありません。私たちは神道や仏教、キリスト教などに、それぞれ敬意を払っているともいえます。神社やお寺、教会を神聖な場所として大事にする発想があります。「人智を超えた存在」に対する恐れのような感覚を持っている人も多いと思います。

つまり多くの日本人は無宗教なのではなく、特定の宗教を深く信じるという行動に出ないだけで、宗教心は持っているのだと思います。
人々は日々の生活の中で思い悩み、苦しむことが多々あります。そのとき宗教は救いになってくれることがあります。オウム真理教は自分の生き方に悩む若者の心を掴(つか)み取ったのです。

そうなりますと、「伝統宗教は何をしていたのだ」との批判も巻き起こります。オウム真理教の事件は、日本にこれまで存在していた宗教団体に対して反省を迫るものにもなったのです。

■本来の仏教の教えとは
オウム真理教が説く教義の中には、原始仏教の要素も入っていました。日本に根付いた仏教が、そもそもインドで誕生した仏教とは大きく変化していたことから、こうした教義が新鮮なものとして受け止められた部分もあるかもしれません。
現在のネパールで生まれたお釈迦様は、インドのブッダガヤで悟りを開き、仏陀(ぶっだ)になります。仏陀とは「悟りを開いた人」という意味です。仏陀の教えが仏教となって広がりました。

仏教では現世を苦しみに満ちた場所だと考えます。病気になったり、歳をとったり、愛する人と死に別れたり、苦しいことばかりです。でも、死んでも輪廻転生で再び現世に生まれ変わり、引き続き苦しみを味わうことになります。そこで、この輪廻の輪から脱出する、つまり「解脱」することが理想とされます。解脱して涅槃(ねはん)に入れば、二度とこの世に生まれてくることはなく、苦しみから永遠に逃れることができるのです。

そのためには、人々は修行をして徳を積むことが求められます。現世で徳を積めば、来世にはより良い人生が待っているというわけです。

しかし、このインドで生まれた仏教は、中国を経て日本に入ってくる間に、中国の伝統的な風習などが加わり、大きく変化しました。さらに日本国内で独自に発展したり、分かれたりして、原始仏教とは様相が大きく異なるものになりました。僧侶が妻帯したり、肉食したりすることは、インドや東南アジアの仏教では考えられないことです。

一神教ユダヤ教キリスト教
仏教はインドから南アジア、東南アジア、東アジアへと広がり、世界宗教のひとつになりました。同じように国境を越え、民族に関係なく広がった宗教が、キリスト教であり、イスラム教です。

ヒンズー教にはたくさんの神様がいます。日本の神道八百万の神といわれるほど大勢の神様が存在します。仏教ではそもそも、この世を創ったという神様は存在しません。

これに対して、「唯一絶対の神」がすべてを創りだしたと考えるのが、一神教と呼ばれるユダヤ教キリスト教イスラム教です。
このうちキリスト教は、いまから2000年以上前、現在のパレスチナ地方にイエスという男性が生まれたことから始まります。当時のこの地方は、ユダヤ教徒が住んでいました。イエスユダヤ教徒として成長します。

しかし、ユダヤ教の改革運動を始めたことから当時のユダヤ教の人たちから疎まれ、謀反人としてローマ帝国の総督に引き渡されました。当時はローマ帝国の一部だったからです。

エスが十字架にかけられて殺害された後、イエスの遺体は姿を消し、イエスの弟子たちはイエスが復活したと考えます。
ユダヤ教には、「救世主」思想があります。やがてこの世には救世主が現れ、人間たちを救ってくれる、という考え方です。イエスが亡くなった後、「イエスこそが救世主(キリスト)だったのではないか」と考える弟子たちが増えました。そこからキリスト教が誕生したのです。

ですから、ユダヤ教キリスト教も、信じている神様は同じです。
ユダヤ教にはもともと『聖書』(『律法の書』)がありましたが、キリスト教徒たちは、イエスの死後、イエスの言行録をまとめた「福音書」(良い知らせ)を新しい『聖書』として編纂(へんさん)します。その際、イエスの言行録を中心とした聖書を『新約聖書』(神様との新しい約束の聖書)と呼び、ユダヤ教徒の聖書を『旧約聖書』(神様との古い約束の聖書)と呼びました。

つまり、ユダヤ教徒にとっての『聖書』はキリスト教徒にとって『旧約聖書』となり、キリスト教徒独自の『新約聖書』が存在する構造なのです。

■「預言者ムハンマド
イスラム教も実は信じている神様はユダヤ教キリスト教と同じく「世界を創造した唯一絶対の神」です。いまから1400年前、アラビア半島ムハンマドという男性が、あるとき神の言葉を伝えられた、というところからイスラム教が始まりました。神様のことをアッラーといいますが、これはイスラム教の神様がアッラーだというわけではありません。アラビア語で神様のことなのです。

ですから、エジプトに多いキリスト教徒も、神様のことをアッラーと呼びます。
神様の言葉をムハンマドに伝えたのは天使ジブリールキリスト教では大天使カブリエルとして知られています。ガブリエルをアラビア語ジブリールというのです。たとえばキリスト教でマリアに受胎を告げるのは神様ではなく、天使ガブリエルです。神の言葉は天使を通じて(天使を通訳として)人間に伝えられる。この構造はキリスト教イスラム教も同じなのです。

神様の言葉を聞いたとされるムハンマドは「預言者」と呼ばれます。「予言者」ではありませんからご注意を。預言者とは「神様の言葉を預かった人」という意味です。

キリスト教ではイエスは「神の子」ですが、イスラム教から見るとイエス預言者のひとりという位置づけになっています。つまり人間なのです。
ムハンマドムハンマドが伝える神様の言葉を聞いた人たちは、読み書きができなかったので、ひたすら暗唱していました。しかし当時はしばしば戦争があり、ムハンマドの死後、ムハンマドが伝えた言葉を暗記していた人たちが次々に戦死してしまいます。このままでは言葉を残せなくなるという危機感から本にまとめたのが『コーラン』です。

■『コーラン』が伝えるものは
コーラン』とは「声に出して読むべきもの」という意味です。神様が天使ジブリールを通じてムハンマドに語りかけた言葉をまとめています。
神様は過去にユダヤ教徒に『聖書』を、キリスト教徒に『新約聖書』を与えたけれど、人々は神様の指示を歪(ゆが)めたり、言いつけを守ろうとしなかったりしてきた。そこで、最後の預言者としてムハンマドを選び、神から人間への最後の言葉として伝えられたものが『コーラン』である、という位置づけです。なので、イスラム教徒にとっては『旧約聖書』も『新約聖書』も大事な聖書ですが、『コーラン』が最も大切な経典ということになります。

コーラン』によれば、人間たちの行いは常に天使によって見られています。善行も悪行もみな天使によって記録されます。人は死ぬと地下に埋葬されて、この世の終わりが来るのを待ちます。やがてこの世の終わりが来ると人々はみなよみがえり、神の前に引き出され、生前の行いが秤(はかり)にかけられます。善行が悪行より重ければ人は天国へ、悪行の方が善行より重ければ地獄に落ち永遠の炎に焼き続けられるのです。

このためイスラム教徒は、神の言いつけを守り、1日5回のお祈りを欠かさず、酒は飲まず、豚肉も食べず、1年に1カ月間の「ラマダン」(断食月)には日の出から日の入りまで飲食を断つように努力するのです。こうした努力を「ジハード」といいます。日本では「聖戦」と訳されるジハードですが、もともとは神様の言いつけを守ろうとする努力のことです。

■宗教と共存する現代世界
中東のイスラム国家サウジアラビアの入国カードには宗教欄があります。どんな宗教を信じようが信じまいが、個人の自由ではないかと思ってしまいますがそうはいきません。

かつて日本人がここに「None」(なし)と書いて、入国を拒否されたことがあります。「神を信じていない者は、神をも恐れぬ行動に出るやも知れぬ。テロリストではないか」というわけです。

私は「仏教徒」と書いて入国が認められました。同行したテレビ局のスタッフの中には「神道」と書いた者もいましたが、もちろん入国が認められました。

世界では何らかの宗教を信じているのが当たり前であり、信じていない者は奇異の目で見られるという現実があります。あなたが宗教を信じるのも信じないのも自由ですが、そういう世界の現実があることを知っておいてください。