藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

けじめをつけない国民気質。

政策やマニフェストが守られていない、と名指しで首相を批判するのは得意だが、「過去の失敗に対する責任の取らせ方」はいつの間にか「もっとも意気地のない国民性」になってしまった。
先の福島原発事故が良い例である。
その前にも年金データ消失とか、年金資金消失とか、
官製談合とか、天下りとか、どれも影響は「死刑並み」の大罪だと思うが、犯人はおろか、意思決定者すらもはっきりしないことばかりである。
東電が、法人としてまず責任を取り、法律で経営陣も裁かれ、許認可した政府の責任者も同様になり、それから「本格的な国の補償について」論じない限りには、いったいだれが責任者で、国や政府や国民はどの立場にいるのかさっぱり分からない。
誰かを吊るしあげて極刑に処すのが目的ではなく、「私が決めました」という責任当事者が見える、ということが、その後にはとても重要なのである。

大本営発表が続き、67年前の8月当日、突然玉音放送が流れてきた当時の国民も、そんな感じではなかったか。
こうなってはもう国民総奴隷化か、などと噂され、それが案外緩めのお沙汰ですみ、「いざ経済復興」などと言われてなんのかので70年近くが経ってしまった。


戦争とか、(陸海空や電気ガスなどのインフラの)大規模事故には、必ず「政官財」の三位一体の構図がある。
重要インフラ関連だからそれは当然だが、そんな構図に何かあった時のけじめのつけ方が、日本の国民はとても下手なのである。
というか、権力者側に、どうせ何もできはすまい、と”見切られている”と言う方が当たっているだろうか。
一人ひとりの国民の意思表示の力が見くびられているのだと思う。

期限の迫っている昭和の戦争問題しかり。
ただし「今の三十代以下の世代」には「責任の取り方」の手本を見せておかねば「こんなもんだろう」という国民軽視はいつまでも続いてしまう。
まず隗より始めよ、という。
早速原発問題からも、対処を始めるよう要求していきたいと思う。

「いつか来た道」にならないために
2012/8/15付

あの暑い夏から67年目の終戦の日が巡ってきた。8月は死者と再会するお盆の季節でもある。戦禍を被ったすべての犠牲者に哀悼の意をささげたい。
 世界をみると、経済の停滞による主要国の権益争いが激しさを増している。国内では二大政党の不毛な争いが続く。こうした状況は戦前に似ていなくもない。いつか来た道にならないためにも、歴史に学ぶ姿勢を大事にすべきだ。
 大日本帝国はなぜ悲惨な戦争へと突き進んだのか。日清・日露の戦役に勝ち、傲慢になった軍は国力を過信し始める。追いつき追い越せの明治時代が終わった100年前がひとつの節目だったのではないか。
 戦地を経験した人のほとんどは90歳を超えた。広島では被爆者の平均年齢は78歳だ。当事者の話をじかに聞くことができるのも残念ながらそう長いことではない。
 証言の聞き取りや整理、新たな語り部の育成に国を挙げて取り組む必要がある。
 平成も四半世紀近くになり、若い現代史研究者には昭和の記憶がない人も出てきた。歴史の風化を危惧するが、「昭和天皇の戦争責任」などのタブーにとらわれない議論が出てきて、研究の幅が広がった面もある。
 加藤陽子著「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」、森山優著「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」。学界ではここ数年、戦前の政治判断の検証が盛んだ。個別の研究の評価は別にして多角的な歴史再認識の動きは歓迎したい。
 話題の小説「東京プリズン」(赤坂真理著)には女子高生が留学先の米国の高校の授業で「東京裁判」をテーマに「ディベート」をさせられる場面がある。歴史問題から目を背けがちな私たちに意外な視点を与える。
 中韓との関係に配慮し、首相の靖国神社参拝は2007年以降見送られている。妥当な判断だが、そのままでよいわけではない。
 2月まで日本遺族会会長だった自民党古賀誠元幹事長は「すべての人がわだかまりなく参拝できる環境づくり」としてA級戦犯分祀(ぶんし)を提唱する。
 「東京裁判戦勝国による報復」としつつも「当時の指導者の判断で約300万人の日本国民が亡くなった事実は重い」との考えからだ。分祀ですべてが解決するわけではないが、英霊を安んじる一つの道かもしれない。