藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

脳中枢との対峙。

この年にして。
もう色んなものを「捨てて捨てて」いるのだが。
日々膨大な量の本との格闘。
果てなき格闘。

最近のアマゾンは、注文当日に届く。
もうこうなっては「大規模書店に入らない」ということくらいが"症状緩和"の彌縫策でしかない。

問題は何か、というと「全部読むことが出来ないのに、さらに本を買う」という行動に尽きる。

羽織もしない服を買うのと同様、ある種の「妄想」に近いのである。
本は出版社と著者の「企画モノ」である。
だから、とても「扇情的」にできている。
刺激的な「帯」が付いていることが多い。
それにコロコロとやられる。
TV通販のCMとあまり変わらないと思う。

そして、本屋に入って両手に思い紙袋を下げ、あるいはamazonで「注文が確定されました」というボタンをクリックして、「一仕事終わった気分」になっているのが何よりも恐ろしい。

買い揃えた書籍が自分の血肉になるかどうか、ということは既に問題ではなくなっている。
かくて、自宅に帰り「行き場のない書籍たち」を前にして茫然となるのである。

「手元に置いておきたい」という気持ちと「どれだけ消化できるか」というのは「お金と物欲のバランス」に似ている。
本当に自分の生活に必要でもないのに「消費欲」ばかりが先行すると、ショッピング中毒になる。
同様、読めもしない書籍を、バンバン買って年を追うごとに「積んどく本」が増えている状態は異常性を帯びていると思う。

さらに、「それならば」とばかり「買った本ならば、必読じゃ!」とばかりもう、走り読みでも何でも、ともかく「買ったからには読めばいいのだろう」という行動に走ったり。
本末転倒である。

「蔵書と読書」は何か永遠のテーマのような気もするが、ここにも"断捨利"が必要な気がする年末でした。