藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

納税のモチベート。

脱税の摘発現場の写真特集。

教育、勤労、納税は国民の義務だが、どうも人は所得が上がるとそれを忘れてしまうらしい。
その凄まじさは「戦場カメラマン」さながらである。

湯沸かしポットに隠された現金。
冷蔵庫で食料品とともに冷やされた株券。
応接室の床下の隠し金庫に隠された有価証券。
天井裏やら、果ては庭の植栽の地中に埋められたものまで、「いったいどうすればこんな物が摘発できるのか?」とその捜査力にただただ驚かざるを得ない事例のオンパレード。

縁のない立場からは想像するべくもないが、それにしても人は「稼いだら、何とか残したい」と考えるのだろう。
もう、稼いだキャッシュや金塊を「隠匿する」ということの方に関心が向いているのではないか、というほど人々の振る舞いは突拍子もない。
というか、合理的、合法的に考えれば、もっとやりようはあるだろうに、といいたくなる。
米櫃の底とか、浴室の天井裏とか、もうマルサの女さながらである。

摘発する方の苦労も大概だと思うが、何か人の「生命力の根源」を見たような、この数々の摘発写真には驚いた。

30億円余りの金塊を隠していた人は、一体何が目的だったのか?
ひょっとして、もう「税金逃れ」だけが生きがいになっていたのではないか、と聞きたいくらい、ある種滑稽であり、またその一生懸命さや稚拙さにも驚いた。

ぜひとも「納税に価値あり」と思える世の中になって欲しいものである。
脱税は社会的に「イケてない行為である」というコンセンサスが一般的になるような税制の設計と周知が必要なのではないだろうか。