藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

漱石のあとで

まあ、もう十年もあまり恋愛について考えることもなく。
年齢的にもそんなものだろうと思っていた。
もの凄く久しぶりに夏目漱石の小品を浚ってそんな気になった。

そう言えば昔ものの人情ものや現代の小説を見ても、話題の一つは必ず「男女」である。
高名な学者も取り上げるこうした男女のの織りなす物語は、まあ人間という生き物の宿命なのだろう。

それにしても、人の性というか気性というのか、一番の原因は男女 のことで、死ぬまで何十年も過不足なく過ごす、という人もいれば、常に出入りや刃傷沙汰もたまにあり、色恋に落ち着かぬ恋多き人も少なくない。

もう長いことそうした感覚は忘れていたし、またそんな感覚は年齢と共に薄くなって当然だとも思うが、それにしても小説よろしく、身近な異性が結婚したり、遠くに行ったりしてしまうのは何とも言えない寂寥感を湧き起こすものである。


一生の中で、決まった伴侶を選び決めるこもと難しいが、またそうしたパートナーを一人に限定する努力も切ないものがあるのだと改めて感じた。
もういい年の大人であるけれど、(だからこそほとんどそんな機会の訪れないはずの)"そんな気持ち"はほろ苦いけれども、何だか心が若返ったような気すらしたのである。

自分のパートナーであれ、またそれ以外であっても恋心、というのはいつの年齢になっても重要な生命力の源なのかもしれない。
そういえば、大先輩の女性は、常々そういう話をしていたっけ。
まさにその通りだなぁと痛感してしまったのである。