藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

チェロの音色。

繁華街の催しなどでも、ピアノ、弦楽器、歌などはよくあるが、チェロ独奏というのは珍しい。
弦楽四重奏などはあるけれど、チェロ単体で聞く味わいはまた別物である。

コントラバス(ベース)よりもメロディアスで、ヴァイオリンよりもずっと通奏低音
そんな微妙なパートに位置するチェロの音色はちょっと格別に聴く者の心に沁みてくるところがある。

まだ二十代の辻本さんが奏でるリサイタルでも、そんなチェロの魅力が際立っていたに違いない。
大ヴェテランが奏でる味のある音色が聞かせるのは無論だが、こうした若い人が先輩たちの演奏や指導に影響を受け、「心に響く演奏をズンズン仕掛けてくる」様子が頼もしい。

過去に培われたノウハウを、教育できるレベルに固め、それを後進に伝えることで、さらに高度な演奏や解釈が若い世代に引き継がれる・・・
そうした「効率的な伝承」を音楽会も試行し続けているのである。

聴衆ありき、ではなく演奏家として作曲家と向かい合う彼らの真摯な演奏が、結局聞き手の心に響いてくる、実に地道でまともな試みが連綿と続く「音楽という財産」を継承してゆくのだろう。

真剣なものは美しい、ということを改めて感じさせられる。

[評]辻本玲 リサイタル…質実剛健な音、得難い逸材

日本の若手チェロ奏者の中でもひと際注目度の高い辻本玲のリサイタルを聴いた。
 辻本の演奏でまず圧倒されるのは、その非常に骨太な音。絶対的な音量の豊かさもさることながら、浮ついたところのない、まさに質実剛健という言葉がぴったりする音を出すのである。
 最初のバッハ「無伴奏チェロ組曲第1番」の前奏曲は、同一の音型を和音を変えながら連続させるという音楽だが、音型を構成する一つ一つの音を丹精込めて弾き、決してないがしろにしない。テンポ設定は遅くはないにもかかわらず、昨今流行の軽やかな解釈と一線を画すのは、持って生まれた音の質に起因すると思われる。弓の制御がままならず、本人も思いがけぬ音を出したというような個所もあったが、辻本の特質が大いに発揮された演奏だった。
 ベートーヴェンソナタ第3番では、ピアノの須関裕子とのバランスが良好だったのが印象に残る。バッハでもそうだったが、辻本は激昂(げきこう)しても音が粗くなることがない。曖昧さのない、芯のはっきりした音を出すことに長(た)けた須関とは相性も良い。ゆえに、両者は互いへの過度な配慮をせずに、音楽の構造を明確に提示できるのだろう。最後のフランク、ヴァイオリン・ソナタのチェロ版でも、彼らの特徴がよく現れていた。
 休憩直後はポピュラーな小品が3編並んだが、ピアソラの「オブリヴィオン」が辻本の手にかかると、俗気が抜けて洒脱(しゃだつ)になるのが興味深かった。得難い逸材である。(音楽評論家 安田和信)
 ――3日、飯田橋トッパンホール。
(2013年8月20日 読売新聞)