藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

競争原理の終わりに。

戦後生まれの自分だが、成人して壮年になるまでは「結構な競争社会」にいたと思う。
受験とか就職とか、家族とか財産とか、「他人との比較」が割合主流の、価値観の物差しだったと思う。

SMAPの歌のように「どうして、こうも比べたがる」というのが常識の社会だったと思う。

それが「比べない社会」になっている。
自分たちの時代には「絶対に比較している」という前提があったのが崩れた。
比べなければ、「優劣」はつかない。

つまり「他人との比較」がなくなれば、無意味な相手との競争はなくなってしまう。

その後に残るのは「自分の大事なこと」になる。
これまでの価値観に振り回されてきた自分の世代にとっては、驚きの価値観チェンジである。

富も、人間関係も、生きる場所も、ライフスタイルも、すべて「自分流」でいい。
所ジョージさんのような感じだ。

そんな「普通の感覚」を得るために、戦前・戦中・戦後を経て70年以上が経つ。
こういうことが"成熟"なのかなとも思う。

EUの小都市のような、年寄りたちのコミュニティを築いていくのが、これからの日本なのではないだろうか。
そして、日本の田舎町にすでにそうした文化は根付いている。
いよいよ日本のオリジナリティが醸(かも)される、という気がする。