藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ハングリー回帰。

感性の古びない人、つまり頭というか気持というか心の老いない人は、若者のことも「自分のことのよう」に心に置くことができるのだと思う。
今の飽食の時代、が結局今の若い人たちに落としている影のようなもの。

(ろくにめしにありつけないという前提の自分たちの祖先と比して)
逆に、頭に詰めこむ情報はめっちゃ増えてからに、
 もう獲物を追うという本来の目的からしたらさ、
 トゥーマッチになってるのよ。
 もうね、ゲーゲー吐きたいんじゃないの、余計な情報を。
 若いやつら、バカじゃないのよ、そういうことをさ、
 身体でわかってるから、止めてるのよ、情報を。

物心がついた時に、高度成長が目の前にあった自分たち50年間世代と同様。
21世紀の出生世代には「そんな閉塞感」があるのだろう。
誰もそれを声を上げては言わないけれど。

余分や栄養や脂肪や知識や情報はかえって贅肉になる。
だから絞る。
余分な情報の消化に使わされているエネルギーを「本来考えたいこと」に振り向けるために。

体のダイエットは一番目に見えるから誰もが意識しやすいけれど、思考のダイエットはちょっと「そういう意識」で自分を見ないと、日々の刺激情報に流されているな、と自分も思う。

もう「十分食べられるだけの情報」があるのに、いつまでも「食べられなかったらどうしよう」という目線で日々を過ごしていては「より先にあるもの」を見つけられないだろう。

いよいよ情報過多には与しない。
そんな時代が早くも来たようだ。
このスピード感はたまらない。

・こう、なんていうかさ、
 人間の、いや人類の身体って、
 ろくにめしにありつけないという前提で、
 できてるわけでしょ。

 文明の発達のせいでね、
 やれカロリーの摂り過ぎだとか、
 ダイエットだスポーツジムだすべった転んだって、
 言ってるわけだけど、そんなこといってるの最近でさ。
 三十年前までコレステロール足りてなかったって、
 そう聞いたこともあるよ、知りあいのお医者さんから。

 ある程度、食うこともままならない状態で。
 歩いて探しにいかなきゃならないし、
 獲物をしとめるための技術とか、競争とか、
 疲れるしがんばるし必死なわけよ。
 そういうことに合わせて肉体があるんでね。
 部屋にずうっといて、パソコンだゼネコンだって、
 動かないでなんでもやってるんだったら、
 ほとんど筋肉いらないんじゃないの、これ。

 そういう意味じゃね、ぼくが思いますに、
 若い連中は、かえってハングリーを求めてるんじゃない?
 ハングリーが失われたがゆえに、ハングリーを求める。
 ‥‥思いません?
 サッカーやらのスポーツとかでも、
 芸能でも団体的なののセンターマイクとか、
 すっごいハードな訓練とかしてるんでしょ、あれ。
 そういう成分を、求めてるのよ、身体が。

 逆に、頭に詰めこむ情報はめっちゃ増えてからに、
 もう獲物を追うという本来の目的からしたらさ、
 トゥーマッチになってるのよ。
 もうね、ゲーゲー吐きたいんじゃないの、余計な情報を。
 若いやつら、バカじゃないのよ、そういうことをさ、
 身体でわかってるから、止めてるのよ、情報を。
 これ、年齢とか関係なく、そうするべきだね。
 ハングリーな場面を、あえてつくって飛びこむのよ。
 わかってる大人は、そうしてるのよ、とっくに。
 じゃ、そういうことで、ぃよろしくっ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なんか、そういう角度で、いろいろ考える必要があるよね。