藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の目盛を持てるかどうか。

生命の危機に瀕して、あるいは犠牲者を出すような事件を見聞して初めて「平穏」の価値を知る。
そうした「対岸の火事を見て、己の褌を締める」という気質は誰にでもあるだろう。

さらに。
富、地位、権力、名誉、愛情、異性など。
結構、裕福で恵まれているのに、何かにいつも「血眼になって飢えている人」というのは、天井を考えることなく常に「欲してしまう」性質なのである。

もはや目的は「そうした目盛」になっている。
自己目的化である。
数字の権化のようになり、憑き物に憑かれたように業績の向上だけを追求する。

そうした「憑き物」に取りつかれないように。
それには「自分なりの目盛り」を確立するしかない。
そこで、五十年生きてきた自分なども考える。

「自分にとっての成功とは何か」
「あと三十年の人生でしたいことは?」
「あと十年の仕事でしたいことは何か?」
「自分の家族、友人などかかわる人との交遊はどうしたいか?」
加齢と共にありありと見えてくるのは、そういう事なのだと思う。

7つの習慣でも最も大事な「重要事項を優先する」である。
自分のこれから(しかも残された時間)で「しておきたいこと(戦略)」がはっきりしてこそ、色んな作戦が生きてくるのは言うまでもないだろう。

十代二十代の若者が「何をしたらいいか分からない」というのは当たり前のことであり。
大事なのは「何かの判断にできる本物の経験」をまず獲得することなのだと思う。
業種とか、ブラックだとか関係ない。

本人がどれだけ外部の空気を吸って成長できるか、ということに他ならないのだと思う。