藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

試練のとらえ方。

若いころは「嫌なことから逃げること」ばかり考えていた。毎日そんな風にばかり考え、行動していたように思う。
いつの頃からだろう「嫌なことを探す」ようになっていた。
嫌なことには出会わない方がいい(というか精神的に楽)のだが、いつしか「それでは全然ダメ。つまり成長しないよ」ということが分かってしまったのである。
もう若くないので「若い時の苦労は買ってでもせよ」の意味が分かるのである。(嘆)

もう少し若い時に分かっていたかったけれど、まあ自分はそんなものだと思う。
今日一日。
今週、来週。
来月。
三ヶ月後、半年後。
一年。
三年。
十年、二十年くらいまで。

どんな「嫌なこと」が自分を待つのか。

けれどそれって「良いこと」と言い換えることもできそうだ。
辛いことの後には、必ず開放感みたいなものも感じるし。
ということはこれから先、どんな良いこと、ワクワクすることが待っているのか、というメンタリティにもなれるのである。

なんとそんなことなのだ。
何だか未来は楽しいような錯覚に陥ってきたのであった。
すべては心の所作である。