「あなたはどう考えますか?」と問われれば、
どのような基準で話をしようか、
相手の立場や環境はどんなか、
易しく簡易な表現で行くのか、厳めしい感じがいいのか。
辛めか甘めか。
無難か過激か・・・
実に色んな切り口が考えられる。
どの観点も自分次第、料理の仕方も多様である。
一方。
あなたは信長タイプ?秀吉タイプ?家康タイプ?と問われれば、心理的な負担はグッと少なくなる。
何しろ独断型?とか商人タイプ?とか調整型?という風に考えれば「その他のこと」はあまり考慮しなくてよい。(そういえば「俺は秀吉タイプ」という人には会ったことがないなぁ)
選択型の設問というのは回答者に思考固定というか、「思考停止」を促すものなのである。
同様に思考停止型の典型は「血液型論」だろう。
「手相」もその類だろうか。
あと四柱推命とか。
思うに自分たちは「全く自由な思いつき」の中で色々考えるのではなく、「ある程度の道筋」を楽に指向する傾向があるのだろう。
A型は勤勉、B型はマイペース、などと分けてしまえば実に分類はし易いし、対話も拡散しないで済むのである。
「俺A型だからさぁ」とか
「あの人AB型らしいわよ」とかで会話が成立するのもお互いにラクな方法なのだろうと思う。
・いつごろ、どういう人が考えたのか知りませんが、
「ホトトギスと天下人」の喩えというものがあります。
信長は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」で、
秀吉は「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」ですか、
で、家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と。
たぶん架空の句だったとは思うのですが、
いつのまにやら、ずいぶん有名になっているようで、
それぞれの武将が、これを知ったら、
「ちょっとちがうなぁ」とか言うかもしれませんよね。
昭和の時代には、ちょっとお酒の入ったおやじとかが、
すっかりその気で「おれは信長だから」とか
「あいつは家康だからなぁ」とか言い合ってました。
信長でも秀吉でも家康でもないふつうのおじさんが、
問題の構造が三択になっているおかげで、
三人のうちの、誰かを選ぶしかないから、
そこで天下人の気分になれちゃうんですよね。
星座とか血液型で分類されるよりも、
天下人の誰かに分類されるのは気分よかったでしょう。
あんまりシラフじゃ、言いにくいかもしれませんけど。
でも、妙に記憶に残る喩えなので、
大人になってからも、ふと、思い出すことがあります。
じぶんは、どれに近いんだろうと考えてみるわけです。
でも、なかなかどれもちがうような気がする。
ふと、なにかの待ち時間のときに、
冗談として口から飛び出したのが、
「鳴かぬなら‥‥抱かれてみたいホトトギス」でした。
まったく出まかせだったのですが、へんにおもしろい。
ホトトギスのほうを、途中から主体にしちゃって、
しかもじぶんも性別を変えちゃった。
三択じゃなくなって、オリジナルにしようとしただけで、
なんだか軽くなって自由になった気がしたんです。
二択とか三択とか、あらかじめ答えが用意されていて、
あとは選ぶだけってものごとは、疑ったほうがいいね。
ホトトギスに抱かれる人生も、あるかもしれないもの。
「鳴かぬならごはんにしましょうホトトギス」もいいな。
みんなも、ちょっと遊んでみてはいかがでしょうか。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
鳴かぬなら静かに暮らせホトトギス‥‥ああ、きりがない。