藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

実はこんなことかも。

自分の過去の失敗で「致命的なこと」は何だったのだろうと思い。

そういえば有名な経営の格言に「制約条件は解除の対象」というのがあった。

どうしても「ひっかかること」があるのなら、もしそれが除去できればぐっと思い通りの近づく、というものだ。
それになぞらえさせてもらえば「致命傷の発見は転ばぬ先の杖」といったところだろうか。
絶対に受ける製品とか技術だ!とその時は思っても、まあその通りに売れたりはしないものである。
けれどうんうん唸りながらも改良を加えたり、また視点を正反対に変えたりしながら、一時は「もう全然ダメだ」という闇と格闘しつつ、ある日突然パッと視界が開けたりする。
どうしても越えられない壁があったらあったでそれは壁なのだ。
乗り越えたり、押し倒したりできるかもしれない。
ゴリゴリやっていれば風穴が空くことだってあるだろう。
大事なのはやり続ける情熱と同時に「冷静な目」なのだ。
どちらも背反するようなところがあるけれど。

誰でもそうだと思うけど「困難な事態」に直面すると、そのことが頭から離れなくなる。
そういう精神状態は決して楽しくはないものだけれど、「そういうこと」はよくあることだ。
だから「そういうことが起こっていること」は気に病まずに(頭の中で)ずーっと首をかしげながらあーでもない、こーでもない、あれは無理。これも出来ない、と始終考えてみる。
もちろんダメなものはダメってこともあるけれど、それも「考えた末の結果」だから自分にとっては納得性が高い。
結局人はそういう「自らの得心」を拠り所にしている節があると思う。
そういうプロセスを経た結果「ダメ」ならそれはそれだ。
過去の引出にそういうのを格納して、また次に行く。
毎日の出来事って「そんなものだよ」とどこか自分に語りかけて気持ちの整理をつける方法は「切り替えの早い人」とか「アグレッシブな人」は知らずに身に付けているようである。
人生で自ら経験できることはそう多くないけれど、せっかくリアルに体験した出来事は良いことも悪いことも全部きちんと引出しにしまっておく。
普通は人さまにはお披露目する機会のない引き出しだけど、そんなことをブログなんかに認めておけば、いつか誰かの参考になるかもしれない。
そんなつもりで書く日記もあるのでした。