糸井さんのブログより。
あんなの成功しないよ。
どうせ大したことないさ。
すぐダメになるんじゃないか。
そういう声はよく耳にする。
その発露は他人へのやっかみだったり嫉妬だったり。
別に外野が言うのは自由だし、まあそうして溜飲を下げるというかストレスを発散している一面もあるだろう。
でもそこで終わってはもう弥次さん喜多さんの縁側話でしかない。
あースッとした!では何にも身にならないではないか。
そりゃ他人への嫉妬心はある。
けどそれを噂話的にこき下ろして寝ておしまい、てのは寂しいじゃない。
出来たら貪欲に、「何でアイツは成功したんだろう?」とか
知り合いなら「ちょっと話聞かせてくれよ」とか
ほめ言葉の一つでも持って"にじり"寄りたいものだと思う。
案外、成功した人っていろいろと饒舌に語ってくれたりするものである。
本人に聞けば、「私の履歴書」を読むのとは違って語られぬ苦労話も聞けるかもしれない。
糸井さんは「色男、金と力はなかりけり」という一節を引いているけれど、確かにそれは何も言っていない。
どっちかというと捨て台詞というか、やじ馬が合の手を入れている類のもので、まあ言ったご本人だけが「言ってやったぞ」という満足感を得ているだけのものでる。
小さな満足、自己肯定感に浸るよりももっと大事な何かを探さないと。
それはチャンスでもあるかもしれない。
・「色男、金と力はなかりけり」というのは、
誰が言ってることばなのかなぁ、と風呂で考えたんだよ。
ぼくは、よく風呂でいろんなことを考えるんでね。
色男自身が言ってるのだとしたら、言い訳か自嘲だよね。
金や力を求められるような場面で、言ったってことだ。
色男じゃない、むしろ色男を嫌ってる人が言ったなら、
色男に対する嫉妬からか、色男の価値を貶めてるわけだ。
色男に惹かれる女性が言ってる場合には、
ある種のあきらめとかね、いわば美意識を語ってるとか。
一般論として、「地球はまるい」みたいに言う場合は、
こういう法則があるから、覚えておくといいぞ、とね。
ぜんぜん、ちがうわけだよね、立場によって。
ただ、もうちょっとよく考えてみると、
金も力も持ってる色男っているじゃないか、と気づくよ。
色男であることで、なにやら油断しちゃえってのを、
アンチ色男が期待しても、そうはいかないもんでさ。
努力したり考えたりする色男、いくらでもいそうだもの。
また、すでに他のシーンで実力を持っている人が、
うっかり色男でした、ということだってあるだろうよ。
それでも、「色男、金と力はなかりけり」ってのは、
ずっとこれから先も、言われ続けるだろうな。
どういう人が、どういう含みで言うのかに関わらず、
世の中の、ちょっとしたスキマに、
なんとなく、うまいことピタッとはまることばだからだ。
たぶん、色男っていう価値を、まず認めているから、
金だの力だのがないとか言われても、
文句も言われないっていうことがあるんだろうな。
で、本気で「ちがう!」とか言う動機がないわけだ、
色男にとっても、非色男にとっても、その他にとっても。
「きれいな薔薇には棘がある」だとか、
「美人薄命」だとかも、同じようなことかもしれない。
ほんとはさ、笑わないでくれ、つまりその、
「なんにも言ってないことば」なんじゃないのかな、と。
ま、風呂につかってて考えただけのことなんだけど、
「色男、金と力はなかりけり」って、ほんとは「無」だ。
そういうふうに考えていくと、ことばってさ、
「無」だらけだっていう気がしてくるんだよねー。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「おはよう」も「時は金なり」も、意味なくなくなーい?