藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の薬に。


成功談は取り上げられる機会が多いし、とかく衆目を集める。
けれど実はそれほど得るものは少ない。
他方、失敗談。

これは、まずそういう趣旨の特集がなければ表に出てこない。
世の中の数限りない失敗は、そのほとんどは喧伝されることはないだろう。
よほど望まれれば別だが、そもそも失敗の経験は恥ずかしく、人には話したくないことだから。

けれど「私はこうして成功した」という話よりは「私の蹉跌」を話し合う方がよほど参考になることが多い。
人生の先輩から、人間関係とか、仕事とか、男女関係について自らの失敗の経験を基に説教されると身に沁みるものである。
またアドバイスする側も、「わが事の失敗」だけに説得力がある。
注目すべきは失敗の研究なのである。

人様の成功の軌跡を踏襲することは難しいけれど、他人の失敗した経験を聞き、そこからの反省点や教訓を共有するのは大事なことだ。
「あなたの成功談を聞かせてください」ではなく「過去の大失敗を聞かせてもらえませんか?」というのは実にいい質問だと思う。
そして不思議にそう問われれば「実はね…」と案外フランクに人は語ってくれたりするものである。
もし自分の失敗体験がお役に立つのなら…という気持ちは誰にでもあるのではないだろうか。

相手への配慮が足りずに失敗した、とか我慢できずに諦めた、とか決断できずに後悔した、とかいろんな失敗が教えてくれることはたくさんある。

そして、また機会があればそんな自分の失敗はどんどん周囲に話すような気持ちでいたいものである。
不思議に、人の失敗談を聞いたら「こんなことでへこたれていちゃいけないな」と元気づけられるものでもある。
成功体験よりは、まず失敗を語ろう。

日米の起業家が語る「失敗物語」
2014/7/10 7:00日本経済新聞 電子版
 平日の日中にもかかわらず会場は満席だった。米西海岸で生まれたあるイベントが日本に初上陸し、東京・恵比寿の会場には会社員や学生ら250人あまりが詰めかけた。次々と壇上に立ったのは日米で起業したスタートアップ企業経営者たちだ。イベントの縛りはただひとつ。「できる限り失敗談を披露すること」――。成功物語に飾られがちな起業家が赤裸々に繰り広げるトークが、来場者の心をつかんだ。
■つまずきを共有しよう

日本に初上陸した「フェイルコン」。日米の起業家9人が失敗のエピソードを披露した
 6月18日、デジタルガレージ傘下の起業支援会社、オープンネットワークラボ(東京・渋谷)本社。午前10時前、1階ロビーはエレベーターを待つ人で満員電車並みに混み合っていた。向かう先は「FailCon(フェイルコン)」。失敗とカンファレンスを組み合わせた造語で、日本語で言えば「失敗座談会」。米国と日本から9人の起業家が登壇し、知られざる失敗のエピソードを話すという。
 フェイルコンは2009年、米サンフランシスコの起業家コミュニティーから生まれた。そのキャッチコピーとは「恐れるのはやめて、失敗を抱きしめよう」。
 スタートアップ関連のイベントが年中開かれる土地柄だが、起業家が語る内容の多くが成功談に偏りがちであることに着目。そこで、いまは順調な道のりを歩む起業家が、自らがつまずいたときにどう振る舞い、どう軌道修正したのかを共有するイベントの構想に結びついたという。
 大組織であれば失敗を取り巻く経験は次世代に伝承され、次に同じような局面に直面しても回避するノウハウが確立されることが多い。一方、小さなベンチャーではそうした経験値はその場限りとなりがちだ。しかし、同じような失敗が随所で繰り返されているのであれば、起業家コミュニティー全体でそれを共有し、他山の石としよう――。これがイベントの趣旨だ。その輪は世界中に広がり、フランスやスペイン、ブラジル、シンガポールなど世界各国に波及した。
■連続起業家を翻弄した荒波
 13都市目となった東京でのイベントは米国から2人のゲストスピーカーを迎え、日本からも7人が登壇した。

「天国から地獄へ」 ジェイ・アデルソン氏が語る失敗物語 ( 動画でご覧になれます )
 「初めて来日しました。でも、この場に招かれたのはちょっとビミョーな気分です」。登壇したジェイ・アデルソン氏は冗談交じりで始めた。インターネット分野で次々と新規事業を切り開いてきたシリアルアントレプレナー(連続起業家)として知られる。まだ43歳ながら、ネットプロバイダーや、データセンター事業、ニュース投稿サイトのDigg(ディグ)などこれまでの起業実績は8社を数える。
 自らを「スタートアップ中毒症」と呼ぶアデルソン氏。数年ごとに運営する企業を新規株式公開(IPO)や大手企業への売却でエグジット(資金回収)させ、輝かしい経歴にも見えるが――。その実、株式相場の荒波に翻弄されたり、買い手に名乗りを挙げた企業に突然はしごを外されて途方に暮れたりと、数々のピンチに見舞われてきた。
 ドットコム・バブル、そしてリーマン・ショックと、この15年に2度の株大暴落の直撃で会社存亡の機にさらされた。1度目は「逆張り」で投資を増やして一気にシェアを拡大しようとしたが裏目に出た。2度目は反対に投資を縮小したところ技術革新の波に乗り遅れた。その経験から、アデルソン氏は危機を切り抜けるのに「定石はない」と断言する。代わりに見いだしたトンネルを抜ける秘訣とは、意外にも「直感」だという。現在は米ヤフーの最高経営責任者(CEO)、マリッサ・メイヤー氏が米グーグル幹部だったころの知られざる「因縁」も包み隠さず話した。

■「眠れないほど憎んだ」
 一方の日本勢は、30代を中心とするIT(情報技術)系の起業家が次々と登壇した。踏んだり蹴ったりの実話を語って会場の笑いをたびたび誘っていたのは、インターネット経由で個人に仕事を仲介する事業で成長するクラウドワークス(東京・渋谷)の吉田浩一郎社長。

「憎んで憎んで憎んで」 吉田浩一郎社長が語る失敗物語 ( 動画でご覧になれます )
 同社の事業は創業2年半にして約3万社が仕事を発注し、約18万人の会員がオンラインで仕事を受けるサービスに育った。いまでこそIPOを視野に入れている吉田氏だが、わずか3〜4年前は先の見通しが開けない日々を過ごしていた。ネット系のベンチャーを立ち上げたものの、「窓のないオフィスにいて、鬱屈した思いが募るばかり」。次から次へと新規事業に手をつけて撤退を繰り返したが、うまく行きかけたときには思いも寄らぬ落とし穴が待っていた。
 軌道に乗ったある海外事業の歯車が狂って1億円の赤字を抱えたところに、2人の幹部が相次ぎ会社を去っていった。裏切りにも近い行為に、吉田氏は相手を「眠れないほど憎んで、憎んで、憎んで」それでも怒りが収まらなかった。しかしこの試練が吉田氏に自分ととことん向き合わせることとなり、現実を直視させたという。
 失敗を続けていた自分に欠けていたこと――。それは役員たちがついてきたくなるような夢を語り、他人が簡単に社外に持っていけないような「仕組み」をつくること。また、あれもこれもと事業を多角化するうちにどれもが中途半端になったことだったという。自分の強みであった「法人向け営業」に特化しなかったことも反省点だった。
 こうした失敗の因数分解をしていったところ、吉田氏が行きついたのは法人向けに仕事のアウトソーシングを請け負い、それをインターネット上でスキルを持つ個人に紹介するという今までになかった「仕組み」を伴った事業だった。それがいまのクラウドワークスに結びついた。
■共同創業者の選び方

「華々しい履歴書は関係ない」 イアン・メンディオラ氏が語る失敗物語 ( 動画でご覧になれます )
 「ゴールドマン・サックス出身だとか、ハーバード大のMBA(経営学修士)を持っているとかいう華々しい履歴書は、共同創業者としてうまくいくかとは関係ない」
 こう語ったのは、ニュース音読アプリ「Umano(ウマノ)」を運営する米ソースリーを率いるイアン・メンディオラ氏。これまで「3回共同創業者選びに失敗した」。エンジニアの同氏は、その都度経営のプロやエンジニアなどを仲間に引き入れてネット系ベンチャーを設立するが、ことごとく頓挫。そのたびにうちひしがれつつも、立ち上がって4度目に挑戦したのが現在のソースリーだ。
 来場者には起業を検討中という学生や社会人も目に付いた。感想を聞いてみると、「スケールが大きく生々しい体験談を聞き、少しおびえている」「いま成功している人々も手探りで道を切り開いてきたことを知り、身近に感じた」などといった声が聞かれた。
 主催者となったオープンネットワークラボの佐々木智也社長は言う。「起業家が集まると成功談やこれからやっていくことに焦点が当たりがちだが、失敗から学んだり振り返ったりすることは貴重」。次回からは一段と規模を拡大するとともに、来場者もリレー式で数分間ずつ失敗事例を話す参加型のイベントに工夫したい考えだ。
 日本政府は、開業率と廃業率をともに日本の2倍ほどの10%台にある米欧先進国並みに引き上げ、「多産多死」のベンチャー立国によりイノベーションの活発化を目指すという。失敗から目を背けずに学び合うという新たな起業家の輪が、健全なスクラップ・アンド・ビルドをもたらす風穴を開けるか。
(映像報道部 杉本晶子)