成功談は華々しい。
そりゃ「成功した」という結果がすでにあるところから始まっているわけで、山あり谷ありの末ついに花開いた、という非常にハッピーな展開になっていることが多い。
何より書籍とか記事になり易いし、また後追いだから過去をドラマチックに表現することもできる。
読んでいても感心したり、へえーなんてことも多い。
そして、多分成功者の自伝を読みたい動機は、自分も成功したいからである。
自分の場合はそうだ。
だからそういう本を見ると無意識に手に取ってしまう。
特に若いころはそういう本を買い揃えていて、本棚には「勝利の経営」とか「頂上対談」とか「聖子はゴミ箱の中に」とかいった本がいつの間にか並んでいる。
(よく言われることだが、その人の本棚を見れば大体どんな人か分かってしまうものだ)
成功者の自伝を読んでいると、例えば"私の履歴書"なんかはその人の波瀾万丈な半生が書かれていて面白い。
けれど「それ」が役に立つかどうかというとかなり疑わしい。
自分の知る限り、成功者の体験が自分の生活に影響している部分はないと思う。
成功談を聞いてどこか「自分もあやかりたい」というヘタレた気質があって、「何かいい話を聞いた」とひとりごちているだけなのである。
よく有名な経営者とかスポーツとか文芸界で成功した人の講演に人気が集まるけれど、それで自分の行動が変わったためしがない。
へえー、で終わっている。
人生、他人と同じ境遇で育ち、おなじ過程を歩むことなどないのだから無理もない。
他人の成功物語を聞いて、ちょっと得した気分になっている暇があればもっと勉強したり、実務に勤しむべきなんじゃないか、と改めて思うのである。(つづく)
日米の起業家が語る「失敗物語」
2014/7/10 7:00日本経済新聞 電子版
平日の日中にもかかわらず会場は満席だった。米西海岸で生まれたあるイベントが日本に初上陸し、東京・恵比寿の会場には会社員や学生ら250人あまりが詰めかけた。次々と壇上に立ったのは日米で起業したスタートアップ企業経営者たちだ。イベントの縛りはただひとつ。「できる限り失敗談を披露すること」――。成功物語に飾られがちな起業家が赤裸々に繰り広げるトークが、来場者の心をつかんだ。
■つまずきを共有しよう日本に初上陸した「フェイルコン」。日米の起業家9人が失敗のエピソードを披露した
6月18日、デジタルガレージ傘下の起業支援会社、オープンネットワークラボ(東京・渋谷)本社。午前10時前、1階ロビーはエレベーターを待つ人で満員電車並みに混み合っていた。向かう先は「FailCon(フェイルコン)」。失敗とカンファレンスを組み合わせた造語で、日本語で言えば「失敗座談会」。米国と日本から9人の起業家が登壇し、知られざる失敗のエピソードを話すという。
フェイルコンは2009年、米サンフランシスコの起業家コミュニティーから生まれた。そのキャッチコピーとは「恐れるのはやめて、失敗を抱きしめよう」。
スタートアップ関連のイベントが年中開かれる土地柄だが、起業家が語る内容の多くが成功談に偏りがちであることに着目。そこで、いまは順調な道のりを歩む起業家が、自らがつまずいたときにどう振る舞い、どう軌道修正したのかを共有するイベントの構想に結びついたという。
大組織であれば失敗を取り巻く経験は次世代に伝承され、次に同じような局面に直面しても回避するノウハウが確立されることが多い。一方、小さなベンチャーではそうした経験値はその場限りとなりがちだ。しかし、同じような失敗が随所で繰り返されているのであれば、起業家コミュニティー全体でそれを共有し、他山の石としよう――。これがイベントの趣旨だ。その輪は世界中に広がり、フランスやスペイン、ブラジル、シンガポールなど世界各国に波及した。
■連続起業家を翻弄した荒波
13都市目となった東京でのイベントは米国から2人のゲストスピーカーを迎え、日本からも7人が登壇した。「天国から地獄へ」 ジェイ・アデルソン氏が語る失敗物語 ( 動画でご覧になれます )
「初めて来日しました。でも、この場に招かれたのはちょっとビミョーな気分です」。登壇したジェイ・アデルソン氏は冗談交じりで始めた。インターネット分野で次々と新規事業を切り開いてきたシリアルアントレプレナー(連続起業家)として知られる。まだ43歳ながら、ネットプロバイダーや、データセンター事業、ニュース投稿サイトのDigg(ディグ)などこれまでの起業実績は8社を数える。
自らを「スタートアップ中毒症」と呼ぶアデルソン氏。数年ごとに運営する企業を新規株式公開(IPO)や大手企業への売却でエグジット(資金回収)させ、輝かしい経歴にも見えるが――。その実、株式相場の荒波に翻弄されたり、買い手に名乗りを挙げた企業に突然はしごを外されて途方に暮れたりと、数々のピンチに見舞われてきた。
ドットコム・バブル、そしてリーマン・ショックと、この15年に2度の株大暴落の直撃で会社存亡の機にさらされた。1度目は「逆張り」で投資を増やして一気にシェアを拡大しようとしたが裏目に出た。2度目は反対に投資を縮小したところ技術革新の波に乗り遅れた。その経験から、アデルソン氏は危機を切り抜けるのに「定石はない」と断言する。代わりに見いだしたトンネルを抜ける秘訣とは、意外にも「直感」だという。現在は米ヤフーの最高経営責任者(CEO)、マリッサ・メイヤー氏が米グーグル幹部だったころの知られざる「因縁」も包み隠さず話した。■「眠れないほど憎んだ」
一方の日本勢は、30代を中心とするIT(情報技術)系の起業家が次々と登壇した。踏んだり蹴ったりの実話を語って会場の笑いをたびたび誘っていたのは、インターネット経由で個人に仕事を仲介する事業で成長するクラウドワークス(東京・渋谷)の吉田浩一郎社長。「憎んで憎んで憎んで」 吉田浩一郎社長が語る失敗物語 ( 動画でご覧になれます )
同社の事業は創業2年半にして約3万社が仕事を発注し、約18万人の会員がオンラインで仕事を受けるサービスに育った。いまでこそIPOを視野に入れている吉田氏だが、わずか3〜4年前は先の見通しが開けない日々を過ごしていた。ネット系のベンチャーを立ち上げたものの、「窓のないオフィスにいて、鬱屈した思いが募るばかり」。次から次へと新規事業に手をつけて撤退を繰り返したが、うまく行きかけたときには思いも寄らぬ落とし穴が待っていた。
軌道に乗ったある海外事業の歯車が狂って1億円の赤字を抱えたところに、2人の幹部が相次ぎ会社を去っていった。裏切りにも近い行為に、吉田氏は相手を「眠れないほど憎んで、憎んで、憎んで」それでも怒りが収まらなかった。しかしこの試練が吉田氏に自分ととことん向き合わせることとなり、現実を直視させたという。
失敗を続けていた自分に欠けていたこと――。それは役員たちがついてきたくなるような夢を語り、他人が簡単に社外に持っていけないような「仕組み」をつくること。また、あれもこれもと事業を多角化するうちにどれもが中途半端になったことだったという。自分の強みであった「法人向け営業」に特化しなかったことも反省点だった。
こうした失敗の因数分解をしていったところ、吉田氏が行きついたのは法人向けに仕事のアウトソーシングを請け負い、それをインターネット上でスキルを持つ個人に紹介するという今までになかった「仕組み」を伴った事業だった。それがいまのクラウドワークスに結びついた。
■共同創業者の選び方「華々しい履歴書は関係ない」 イアン・メンディオラ氏が語る失敗物語 ( 動画でご覧になれます )
「ゴールドマン・サックス出身だとか、ハーバード大のMBA(経営学修士)を持っているとかいう華々しい履歴書は、共同創業者としてうまくいくかとは関係ない」
こう語ったのは、ニュース音読アプリ「Umano(ウマノ)」を運営する米ソースリーを率いるイアン・メンディオラ氏。これまで「3回共同創業者選びに失敗した」。エンジニアの同氏は、その都度経営のプロやエンジニアなどを仲間に引き入れてネット系ベンチャーを設立するが、ことごとく頓挫。そのたびにうちひしがれつつも、立ち上がって4度目に挑戦したのが現在のソースリーだ。
来場者には起業を検討中という学生や社会人も目に付いた。感想を聞いてみると、「スケールが大きく生々しい体験談を聞き、少しおびえている」「いま成功している人々も手探りで道を切り開いてきたことを知り、身近に感じた」などといった声が聞かれた。
主催者となったオープンネットワークラボの佐々木智也社長は言う。「起業家が集まると成功談やこれからやっていくことに焦点が当たりがちだが、失敗から学んだり振り返ったりすることは貴重」。次回からは一段と規模を拡大するとともに、来場者もリレー式で数分間ずつ失敗事例を話す参加型のイベントに工夫したい考えだ。
日本政府は、開業率と廃業率をともに日本の2倍ほどの10%台にある米欧先進国並みに引き上げ、「多産多死」のベンチャー立国によりイノベーションの活発化を目指すという。失敗から目を背けずに学び合うという新たな起業家の輪が、健全なスクラップ・アンド・ビルドをもたらす風穴を開けるか。
(映像報道部 杉本晶子)