藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

将来像はモザイク的。


日常の選択肢は単一ではない、いろんな変数の値によって決まってくる、というような話を先日書いたけれど、
幾つかのコメントをもらってまた考えている。

「どんな目的(ゴール)にしたいかによる」と書いたのだが、その目的が「一つではない」という話。

つまり「どんな会社に就職すればいいか」とか「どんな人と結婚するのか」というのは「どんな将来にしたいか」という一言では決まらないのだ。どれもがなしではいられない。
仕事一色とか家庭一色とか、趣味だけありき、という極端な選択肢があれば分かり易いが、多くの人の場合はそうではない。

将来像は単色ではないのだ。

ならばより細かく将来について考え込むことが必要になってくる。
まさに「自分の価値観のグラデーション」というようなことだ。
仕事について、人間関係について、経済的なことについて、どんなウェイトが自分の望む比率なのか。

何が自分のこれからで優先したいことなのだろう。
まずそのマップをイメージしたい。

さらにそのプライオリティがずっと同じとも限らない。
仕事が優位な時期もあれば、家族や人間関係が優先される場面もあるだろう。

つまり、目的すら単一ではなく、しかも固定的ではないのが人生だ。

そうすると自分たちが心掛けるべきは、そんな「目的像」を常にイメージしながらも「優先度の入れ替え」を柔軟に考えることだろう。

人生とは、結局「自分の時間をどこに振り向ける(つまり投資するの)かということに現れるわけで、しかも重要なのは今日明日、ではなく「中長期の投資方針」だから「ここ一年、二年の注力目標」と、それが「二、三十年の方向性」とずれていないか、というような航海術が必要なのではないかと思う。

自分などは、これから二、三十年経っていて「あ、間違った」と思っても、再挑戦は難しいわけで、いい年になってからの「これからの見極め」というのはかなり真剣なテーマなのである。
二十代のころにそんな風に考えていたらなあ…とも思うが、どうもリアリティがない。
やはりある程度の年になってから考えるようなテーマなのだろうか。