藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自立、自発。


学生時代の根拠のない閉塞感。
何をしたらいいか、どんな将来を目指したらいいか五里霧中。
かといって過去に自分につみあがっている物も何もない。
もちろん社会の役にも立っていない。
自分の存在って何だろう、と思った経験のある人は多いのではないだろうか。
私がそうだった。

そんな息詰まりも社会に出たら途端に失せた。
いや、正確には学生アルバイトで自立したころから段々と薄くなっていっていたかもしれない。
それは学業を離れ、「自分で職業を選び、給料で生活する人たち」の中に入ったからだったと思う。
初任給は16万円。

職業選び(つまり就活)にも「自発」というのは重要なキーワードだが、もう一つのテーマは自立である。

自分のことを自分の意思で決め、自分で生活する。

社会の一員としてはここが出発点である。
自立している分には、選択肢はかなり自由だ。
その代わりもう庇護してくれる人はいないから、自己責任というものも背負わねばならない。

だから自立って素晴らしいのだ。
ということを最近つくづく思うようになった。
社会人30年目である。(憮然)

何となく就活をして内定をもらい、そのまま会社人間になって独立して…と思っていたが、実は「自らの選択の連続」だった。
自分の心の中に「何を選んでもいいんだぞ」という心の余裕がなかったからあまりそういう風に感じなかったのだろう。
今振り返ればそう思うのだ。

社会に出た以上、自立していて、基本的には「何を選択するも自由」なのだ。
自分の今の年でこれから何が選択できるのか、はもう割と(かなりかな)制約もありそうだけれど、でも選択の幅はいくらもある。
若ければ若いほどそのアングルは広角である。
「さーて、何をしてやろうかな」という気持ちで社会に入ってもらいたいと思う。

俺が死ねと言ったなら ホンダの哲学「自律、信頼、平等」(前編)
2012/6/20 7:00ニュースソース日本経済新聞 電子版
 ホンダでエアバッグを開発した小林三郎氏(現在は中央大学 大学院 戦略経営研究科 客員教授、元・ホンダ 経営企画部長)が、ホンダ流のアプローチを紹介しつつイノベーションの本質に迫る本連載。今回と次回は、ホンダの哲学の2本柱の1つである「自律」「信頼」「平等」を柱とする「人間尊重」について解説する。(日経ものづくり編集部)
 本田技術研究所は以前、全く業種の異なるA社との間で、研究員の交換留学をやったことがある。7〜8人の若手・中堅の技術者を2カ月間、互いの研究所に派遣する予定だった。いわば「他人の飯を食う」経験をさせようとしたのだ。
 ところが、これは大失敗だった。派遣された技術者はどちらも「仕事にならない」と不満を募らせ、結局1週間で中止になった。その理由が振るっている。A社から本田技術研究所に来た技術者の不満は「指示が曖昧で、何をやったらいいのか分からない」というもの。一方、本田技術研究所からA社に派遣された技術者の不満は「『あれをやれ』『これをやれ』と、やたらと指示が細かくて仕事にならない」というものだった。双方の不満は正反対だったのである。
 ホンダは「自律」「信頼」「平等」を柱とする「人間尊重」を、「ホンダの哲学」の2本柱の1つとして掲げている(図1)。これは単なるお題目ではなく、ホンダの人たちには魂のレベルで根付いている。しかし、自律、信頼、平等は一般的な概念なので、概念自体を説明しても本質はつかめない。今回は、ホンダの技術者の実際の行動の中でこの3つがどう生かされているか、筆者の体験を中心に紹介したい。
図1 ホンダはWebサイトでも人間尊重の哲学をアピールしている  人間尊重はホンダの哲学の2本柱の1つ。自立に関しては、最初は「自律」という文字があてられていたが、現在、ホンダのWebサイトでは「自立」となっている。本連載では自律を用いている。ホンダの哲学のもう1つの柱は「3つの喜び」(作る喜び、売る喜び、買う喜び)で、これについては『日経ものづくり』2010年7月号に掲載した記事「哲学と独創性の加速装置」で紹介した。
■最初にガツンと
 交換留学の話は、自律に関するエピソードの1つだ。ホンダでは技術開発において技術者個人の裁量が大きく、何をやるかを自分で考えることが普通だ。これが、ホンダで求められる自律なのである。ホンダの技術者は、さまざまな場面で自律、信頼、平等の、生きた哲学に触れることになる。中でも、最もインパクトが大きいのは入社直後。ここでガツンとやられる。筆者もそうだった。
 入社間もなくの最初の「ワイガヤ」でのことである[注1]。1人だけ年配の人がいるので、先輩に「あの人は誰ですか」と聞いたら取締役だと教えられた。ごく普通に周りと議論をしている。周りも取締役と意見が異なれば、はっきりと反対する。日本では役職が2階級違うと議論はできない企業がほとんどで、例えば若手社員は係長とは議論できても課長からは指示を受けるだけだ。ところが、ホンダでは議論を聞いても上下関係が分からない。つまり、平等なのである。
 すると、その取締役が筆者を名指しし、「君、小林君だったよな。君はここまで何も発言していない。話すことがないなら出て行ってくれ」と不機嫌そうに言い放った。
 指摘の通りだった。新人だった筆者はワイガヤのテンションの高さと、議論の展開の速さ、そして本音をズバズバぶつけ合う雰囲気に圧倒されて一言もしゃべれなかった。虚を突かれて焦りながらも何とか議論に加わろうとして、「僕もそう思います」とか、「こんな話を聞いたことがあります」とか、とにかく何でもいいから発言するようにした。するとしばらくして、またその取締役が口を開いた。
 「小林君、意見を言うようになったのはいいんだけど、誰かへの同調や、どこかで聞いた話ばかりだな。それに、つまらない」と、バッサリである。これは、「君は自分の意見がない。つまり自律していない」という意味である。まさにガツンだ。
 こうしたエピソードは数多くある。まだ若かった頃、6〜7人でワイガヤをして結果をマネジャーに報告した。数人のメンバーにはマネジャーから仕事の指示が出たが、私には何も指示がなかったので、「私は明日から何をすればよいでしょうか」と聞きに行った。すると、そのマネジャーは筆者をちらっと見て、「小林君がマネジャーだったら、君みたいな若い人に何を頼む? それを明日までに考えてこい」と言われた。
 3つほどのテーマを考えて資料にまとめて翌日説明に行った。すると、そのマネジャーは資料を見ようともしないし、説明を聞こうともしない。「うん、分かった。テーマが決まっているならなぜやらない。すぐに始めればいいじゃないか」。要は、自分で課題までを設定することが求められていたのである。これも、まさに自律が求められる例だ。
■引き継がれるDNA
 このようにホンダでは、自律という観点から技術者はとことん鍛えられる。例えば、おやじ(ホンダ創業者の本田宗一郎・初代社長のこと)に直接育てられた世代の人たちには定番の一言がある。それは「俺が死ねと言ったら、おまえは死ぬのか」というものだ。
[注1] 一般に「ワイガヤ」といえばワイワイ、ガヤガヤと活発に議論するブレーンストーミングという意味だが、ホンダでワイガヤと言えば、徹底的な議論をする3日3晩の合宿のことを指す(ワイガヤについては本連載で後述の予定)。
 これは、こんな場面でよく言われる。技術開発を進めていく中で、上司から「こうやってみらどうか」という助言を受けることがある。上司が言ったからといって全部やる必要はないが、理にかなったことなら当然やってみる。しかし、うまくいくとは限らない。
 上司は助言の内容を必ずしも覚えていないので、失敗したことを知って「なぜこんなことをやったのか」と聞く。そのときに「あなたがやれと言ったからじゃないですか」と答えると、前述の言葉が怒鳴り声で返ってくる。「俺がやれと言ったからやった? それなら、俺が死ねと言ったら、おまえは死ぬのか」と。
 なぜ怒鳴るのか。それは、上司が言ったことを無批判にそのままやるという姿勢が許せないからだ。失敗の責任を部下に押し付けようとしているわけではない。「あなたの助言のこの点に可能性があると考えて実験してみましたが、うまくいきませんでした」と答えれば、怒ることは絶対にない。
(写真:栗原克己)
小林三郎(こばやし・さぶろう)
 中央大学 大学院 戦略経営研究科 客員教授。1945年東京都生まれ。1968年早稲田大学理工学部卒業。1970年米University of California,Berkeley校工学部修士課程修了。1971年に本田技術研究所に入社。16年間に及ぶ研究の成果として、1987年に日本初のSRSエアバッグの開発・量産・市販に成功。2000年にはホンダの経営企画部長に就任。2005年12月に退職後、一橋大学大学院国際企業戦略研究科客員教授を経て、2010年4月から現職。
[日経ものづくり2011年7月号の記事を基に再構成]