藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

チャレンジマインド。

中学校卒業の時。
「将来の夢」と題された卒業文集に何と書いたか。
あの時の心の状態は何だったのだろう。
「総理大臣」とか「会社社長」とか「映画スター」とか「ノーベル賞科学者」とか皆な色々書いていたが、具体的にそれをイメージしていたという感じはしない。
何となくの憧れだったのではないかと思う。

今は違う。
社会に出てからの「自分の夢」。
独立して起業するとか、大企業で出世するとか、料理人とかタレントとして独り立ちするとか。

社会人になってからの方がよほどその夢にはリアリティがある。

荒唐無稽な想像こそないかもしれないが、社会を知って経験しているだけより現実的な夢が描けるのではないだろうか。
だとすれば、せっかく「社会を知っている」社会人が、もっともリアリティをなくして、将来への想像を封印しているのではないだろうか。
これまで自分が過ごしてきた経験から、「新しいことなんてできないさ」と端から決め込んで、もはや心の中でも冒険しようとしない。
あるいはこれからできることなんて、今の巨大な企業組織からすればゴミのようにちっぽけな物でしかない、という風に見えるのかもしれない。

今の時代、何となくそういう「夢見ること」があまり重要視されなくなっているのではないだろうか。

料理人がいつか自分の店を持ち、好きな料理を好きな値段で提供することを夢想するように、我われビジネスマンも自分がやれることを基に、自分の好きなビジネスを模索することがもっと出来るようになるべきではないかと思うのだ。

大企業で優秀な組織人だった人が、いざ事業種になってみると苦労は多い。
全ての会社の営みを基本、一人でこなさねばならないからそれまでの世界とは大違いだ。
けれど「そこ」はもう他人の支配の及ばない自分の世界でもある。
自分の知る限り、脱サラして料理店を開いた人などは、みな「自分の世界を作ること」に躊躇なく挑んだ人だと思う。

今の二十代、三十代の人たちにこそこの「自分の世界を作ること」を一度考えてもらいたい。
以外にハードルなんてそんなに高くないのではないだろうか。
挑戦の代償は若い時ほど高くないものである。