藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分のいる世界(2)

*[ウェブ進化論]社会人のサル山。

村でも国でも学校でも仕事でも。

自分たちは「自分が所属する世界」を認めると、途端に「その世界の中の自分」を考えるようになる。

自分のポジションを中心に考えるようになるのだ。

 

公立の義務教育の時代を思い出すとよく分かるが、入学当初は地域のいろんな子供たちが「ごった煮」で所属する組織にはに大した区切りは見当たらない。

それが大学に進んだり、社会人になったりすると次第に「自分の世界の区切り」がはっきりとしてくる。

いわゆるエリート層やその業界とか。

大企業か、抽象零細や一人親方など、いろんなバリエーションに分かれていく。

どんどん細分化され、そして自分の経歴も専門化するにつれて「外から見た自分」がどんどん遠のく。

いつの間にか「組織の仲間とか家族とか」を敵視したり、そんな自分の世界の中での「自分のポジショニング」ばかりを考えるようになったりするのだ。

 

よく小説にある「大企業の中の権力闘争」とか「政治家や官僚の闘い」は、読者にしてみれば痛快なドラマだが、当事者にしてみれば大真面目の「リアル噺」なのである。

 

そして戦い済んで日が暮れて。

定年を超えて気がついてみれば、全てが泡沫(うたかた)だと気付く。

そんな"サル山の世界"は実はそこら中にある。

 

歳をとって正気に戻るのではなく、自分たちは「そんな世界にハマりやすい性質がある」ということを予め知っておいてもらいたい。