糸井さんのブログより。
何か新しいことを始める、という時のこと。
ほんとうに、いちばん考えなければならないのは、
「ほしい人たち=市場」のことなのですが、
そのことが最も切実で重要な問題だということが、
あんまり考えられているようには思えないのです。
つい新しいテクノロジーとか、新しいネットの使い方とか、目新しい話題で「それじゃあwebで宣伝して、会員を募ってそれが一定数になったら広告を受けて…」などと定石のように口にするけれど、
「こうしたら広まる」とか「こうしたら会員が集まる」ということを頼んで「そもそもの意味」について掘り下げることを忘れていることが多い。
大して練られていない企画は、その企画が伸び悩んだ時に途端に頓挫するものである。
全く新しいプロジェクトであればそのコンセプトが正しいかどうか、という検討も為されるだろうけれど、「既存のビジネスに変化を加えるような」アイデアだと木に竹を接ぐようなことになってしまって実に中途半端なことになる。
ウェブとかネットとかを持ち出す前に、コンセプトや動機がしっかりと揺るぎないことを中心に据えたいものである。
これならできる、ではなく
これなら欲しがられる。を目指す。
・「どうやってつくるか」とか、
「どういうものをつくるか」は、
とても大事なことであることは確かです。
でも、それは、それを「ほしいと思う人たち」がいて、
はじめてつくれるようになります。
芸術表現だとか、趣味のなにやらについては、
そのかぎりではありませんが、
仕事として続けていくためには、
「ほしい人たち」が必ず必要になります。
「ほしい人たち」は一般的には「市場」と呼ばれます。
仕事を生み出そうとしている人たちの話を聞いてると、
近くに豊富にある材料のことだとか、
これまで以上に利益を大きくする方法のことだとか、
つくるものを魅力的に見せるやり方だとか、
「つくる」側の工夫について考えていることが多いです。農業や漁業などの第一次産業をやっていた人たちが、
その素材を加工することによって付加価値を上げ、
さらにそれを自前の方法で販売していく‥‥という
「第一次産業+第二次産業+第三次産業」の
六次産業化という話が聞こえてきたりするのですが、
そういう算数みたいな「あいことば」で、
ほんとにうまくいくんだろうかと考えています。ほんとうに、いちばん考えなければならないのは、
「ほしい人たち=市場」のことなのですが、
そのことが最も切実で重要な問題だということが、
あんまり考えられているようには思えないのです。「産地のいい素材を、うまく加工して、
全国のお客さまにインターネットでお届けする」と、
言うのは簡単ですし、やることもできますが、
その「お客様=ほしい人たち=市場」は、
どこにいて、どうやって会うのでしょうか。
「メディアが取りあげてくれたらこっちのもの」
だ、なんてところの先に「市場」があるのでしょうか。
ぼくは、よくじぶんに言いきかせています。
「いま(現在)は、在庫の時代だ」と。
貨幣にとっても、商品にとっても、思いにとってもね。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人間の活力は、ほとんどむだな改良によって失われている。