藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

外面と内情。

現政権が「女性に質の高い教育を提供するため、今後30年で420億のODAを決めた」という。

ここ数年、大企業の人と話をしていて感じること。
独立間もない二十年前くらいはこちらは「下請け」としてしか接していなかったのが、最近は色々と将来のことなどを語らったりすることもある。

つくづく感じるのは、企業でも組織でも「一定以上の規模になると細かな制御が難しい」ということである。

制御というか、もう意思決定の仕組みそのものが「ある規模以上の対象」については機能していないような気がする。

例えば数千億円規模の業容の企業が、その"社運を賭けた選択"についての「思考システム」を失っているようなのだ。

確かにそんな規模になるとワンマンの経営者が独断で何でも決めていくというのもリスクが大きいというのは分かる。

企業の規模の大きさに比例し、その末端まで神経を行き届かせる仕組みは大企業にとっての大きなテーマだろうと思う。
それはともかく。

国というのも非常に大きな組織であり、GDPや経常収支や財務の状態が常に問題になる。
けれど「国全体が赤字だからODAはなし」という風にはならない。

一般企業でも社会貢献とかCSRと最近は言われるけれど、やはり経営体として「自立」していないと長くはもたないものである。

国の場合は「赤字でも外交は無視できない」という話をよく耳にするけれど、自国が独り立ちできていないのに、一方では「先進国の責務」を説く必要はどこまであるのだろうか。
途上国や新興国への援助が必要ない、ということではなく「援助と自国の自立」とは等分に語る感覚が必要なのではないか、とこの類の報道を聞くといつも思うのである。
自分が一国の主であれば、近隣諸国への援助と同等に自国の家計についてはシビアに当たらねばならないと思う。
自分が食えていないのに、一時の感情で他国にいい顔をしても結局は続かない。

大きな組織のマネジメントは、どうしても小さな矛盾を内包するものだ、とも思うけれど「それはそれ、これはこれ」では語れないのが経済ではないだろうか。
他人にいい顔をするのは自分が自立していてこそ、の振る舞いだと思うのである。

女性に質の高い教育でODA420億円…首相
安倍首相は28日、都内で開かれた「女性が輝く社会に向けた国際シンポジウム」で講演し、女性に質の高い教育を提供するため、今後3年間で計420億円以上の政府開発援助(ODA)を行うと表明した。
 首相は講演で、「日本はODAの理念を12年ぶりに見直し、女性参画の促進を原則の一つに加えた。女性が経済的に自立し、自らの意志で人生を決定できるようにする」と説明した。
 また、「来年、日本はG7(先進7か国)議長国だ。今回のシンポジウムの成果を伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)につなげていく」と述べ、来年5月のサミットで女性の活躍促進を取り上げる考えを示した。
 シンポジウムは、政府が「女性活躍促進」の一環として主催したもので、昨年に続き2回目。
2015年08月28日 19時52分 Copyright © The Yomiuri Shimbun