藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

後からしか分からないこと。

自分が社会人になりたての90年ころは後々"空前のバブル"と呼ばれる時代だった。
残念ながら社会に参加したてのルーキーだった自分は「不動産投資やら、ディスコのお立ち台やら、世間の大人たちが浮足立っているぞ」ということくらいは感じたけれど、特にそれ以上の印象は持てなかった。

そして数年経ち文字通りバブルは弾けた。
その様子はモロに目の当たりにした。

ちょうど独立直後だったこともあり、取引先から「IT開発の仕事が皆無」になった状態に、困るというよりもただただ驚いていた。
まあまだ若かったし。
行き場のない技術職の人たちは自宅待機が普通だったのである。
だからバブルの現(うつつ)は知らないが、崩壊の惨状は見たことがある。
その後のITバブルとかも感じる感性もなく、今またバブルと言われる時代になっている。

三十年前もそうだったけれど「今がバブルのさ中です」という人はマスコミも含めてあまりいない。
金融機関とかマスコミとかも「過熱気味です」というけれど「危ないですよ」という人は殆どいない。
あれから三十年以上経つのだけれど、未だに「80年代バブルはなぜ起きたか」とか「バブルの正体と犯人」とか往時の考察は盛んである。

実需とか、製造業やサービス業の実力以上に「一般人の経済成長の意識」が過熱したことが原因なのだと思っている。

(つづく)