藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

働く動機。

全国の大人の人へ。
そして何よりこれから社会に出る人に。
糸井さんのブログより。

 しつこく言うよ、同じことを。
 「やりたい」ことを思いつくだけでも幸せなんだ。
 それを、じぶんたちの手で始められるのは、
 ものすごく恵まれたチャンスだよ。

結局社会に出て働くということって何だろうか。
それについて明確に確信がないまま自分たちは社会に出た。
両親が育てた畑や漁を受け継ぐのなら、それほど迷いはないだろう。
そこに課題と正解が見えているから。
見えないときに、迷いが生まれる。
そしてそこには唯一の正解もないから。

うん。そうだ。
 「やりたくない」「やらなきゃならない」で、
 埋め尽くされているように見えているかもしれない。
 「がまん」や「苦労」で、遠くが見えないかもしれない。
 でも、「やりたい」を思いつきさえしたら、
 ちょっとでも「できること」がわかってくる。
 「がまん」や「苦労」が別のものに見えてくるだろう。
 そんな感じになるんだと思っている。 

今の多くの大人たちも、或は「やりたいことが分かっている大人たち」も。
自分の天職とか指名とか価値とか。
そんなものを自分自身の中で推し量りながら毎日を生きている。
「私には何が向いているのでしょうか」という就活生の問いは、まさにそのことなのだ。
無理矢理にではなく、自分のやりたいことを探す。
そのために色んな世界と触れ合い、体験してみる。

本当に「それ」のために自分が生まれてきたのかは分からないけど、「やりたいな」と思えるものに突き当たること。
それが社会人になる前の準備じゃなかろうか。

少々腑に落ちないままで社会に入ることもある。
むしろ完全に確信できることなんてあまりない。
だからそんな不完全な気持ちのままトライして、自分の本心とにらめっこしながら毎日を過ごす
転職したり起業したりすることもあるだろう。
大事なの「そんな感性と付き合っている自分」を知っていることじゃないだろうか。

・昨日、ここで書いたこと。
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 だいたい、「やりたい」ことを思いつくだけでも幸せだ。
 それを、苦労しようが失敗しようが始められるのは、
 ものすごく恵まれたチャンスだと思うようになった。
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 これに、そうだそうだと共感してくれる人が多くて、
 なんだかとてもうれしかった。
 そして、それよりなにより、
 翌日のぼく自身が、もういちど、強くそれを思った。
 
 「やりたくない」ことや、
 「やらなきゃならない」ことをやっていても
 ちゃんと時間は過ぎていく。 
 そればかりやっていて一生が終ることだってあるだろう。

 「やりたい」と思えるようなことを、
 「やりたくない」ことや、
 「やらなきゃならない」ことだらけの荒野のまん中に、
 しぶとい雑草のように植えつけてやるんだ。
 そいつが広がっていくうちに、鳥もくるだろう、
 どうぶつも飼えるようになるし、
 屋根のある家も建てられるかもしれない。
 水を溜めたり、さらに作物を育てたりしていくうちに、
 なにより素敵なことに、人だって集まってくるんだ。
 笑顔やら、たのしい話やらをみやげにしてね。
 
 うん。そうだ。
 「やりたくない」「やらなきゃならない」で、
 埋め尽くされているように見えているかもしれない。
 「がまん」や「苦労」で、遠くが見えないかもしれない。
 でも、「やりたい」を思いつきさえしたら、
 ちょっとでも「できること」がわかってくる。
 「がまん」や「苦労」が別のものに見えてくるだろう。
 そんな感じになるんだと思っている。 
 
 しつこく言うよ、同じことを。
 「やりたい」ことを思いつくだけでも幸せなんだ。
 それを、じぶんたちの手で始められるのは、
 ものすごく恵まれたチャンスだよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「やりたい」を「夢」とか「希望」と呼ぶ人もいると思う。