藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

問題は何か。

例えば課題とか悩みがある時に、同じ境遇にある人と話して気持ちが軽くなる、というのは誰しも経験したことがあるだろう。
テストで赤点を取って真っ青になっていても、平気でいる同級生がいて救われた気になったとか。

思えば人はそれほど孤独感には弱いのかもしれない。

類は友を呼ぶというけれど、どうも自分たちは 「異分子」と一緒にいるよりも同じ種類の人たちと一緒に集まり易やすい生き物らしい。
そんな風にして孤独感とか疎外感とかを和らげるのも一つの知恵に違いない。

けれどそういう「共感」では解決しないことも多い。
というか本当の解決の最期は自分一人で決断しなきゃならないことが多いものだと思う。
だから「どこまで我慢するか」とか「どこで勝負に出るか」とかいう判断はつまりは自分次第なことがほとんどなのじゃないだろうか。

よく人の悩みを聞いて「それはgoじゃない?」とか「それは止めた方がいいんじゃない?」などと親身に話していても、ああ結局本人にはなり切れないから本当のアドバイスなんて出来ていないなぁ、といつも思うのだが自分が出来る意見なんてせいぜいそんなものなのだ。
水臭いつもりじゃなくても「絶対にgoに決まっている」なんてことはそうそう意見できないものだなあと思うのである。

で何を思ったかというと、自分も人に助言を求める際には「実は決心はしているのだけど、この部分についてはどう思います?」という風に論点をはっきりさせないと、結局は「人に聞いてもらって安心した」というだけの迷惑な話になる。

そう言えば「悩みは何が問題かがはっきりした時点で八割がた解決している」というけれどまったくその通りで、自分は何が分からないのかをはっきりさせることが問題解決の王道なのに違いない。

(つづく)