お休みに久しぶりに映画や小説に触れて新たに思ったこと。
映画、ドラマ、小説、落語、戯曲、オペラ。
どれも今や「凄まじい創作の情熱」で世に出てきているものばかりだ。
自分は、ほんの十年前までは、そうしたコンテンツをTSUTAYAで借りて、老後は「好きな作品を見て過ごす」ということを考えていた。
本棚に並ぶDVDを見て、このくらいあればずい分と有意義な老後が過ごせるに違いない、と思っていたのだ。
事態は逆転している。
もう、うかうかしていては、自分が老後に(あるいは今でも休日に)何を見るのか?を厳密に選ばないと、とんでもないことになりそうである。
「一度は見ておきたかった」「見ておくべきだった」作品とか、その分野ではある意味"必須"とも言えるものとか。
あらゆるコンテンツが記録され、瞬時に流通するようになった。
作品を作るためのハードルも下がり、加速度的に「コンテンツの量」は増えている。
これからも増える一方である。
果たして映画でも小説でも絵画でも。
自分がこれまでの生きてきた軌跡から、どんなものに触れておくべきだろうか。
昔なら習い事のお師匠が「次はこれを勉強しなはれ」と言ってくれたかもしれないけれど。
そんなことをITができれば実に素敵である。
増え続けるコンテンツを前にそんなことを思った。