藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ゼロから考える。

自分の親世代の話を直に聞くだけで「働くこと」とか「お金」とか「会社」とか「男女」とかについての認識ってこんなに違うのか、と思う。

もう高度成長期なんて何世紀も前の話に聞こえるけれど、たかだか数十年前のことだ。

インターネットのこれからとか、未来のテクノロジーを予想するのは難しいけれど「そういうこと」を常々考えておかないと、あっという間に取り残されてしまいそうだ。

『賢者は歴史に学ぶ』という。
確かに物事のなりゆきは三国志ローマ帝国の時代から変わっていないのかもしれないが、「今起こっていること」を「過去の現象」で説明することには注意が必要だと思っている。

一国の経済のこととか、国際関係のこととかを「過去の経験と知識」で説明しきろうとすると「場違いな予想」とか「正反対の結果」になることって実はとても多いのじゃないか。

インフレとか円高とか株安、とかについて「部分的には正しい説明」をしていても、総論としては予想通りにならないのは、「独自のバイアス」がかかり過ぎているからだと思う。

なので、せめて「ゼロから考えてみる癖」が必要なのじゃないだろうか。

自分などが普段仕事をしていると「売れる商品、とかサービス」という話に必ずなるけれど、そういうのがスイスイと当たった試しがない。

「消費者は感情の動物である」なんて言われるけれど、その感情に素直に沿っていけていないのはこっちの方だ。

国の盛衰はともかく、自分の出がける商品やサービスについては「曇りのない眼」でどれだけ居られるかって大事なのではないだろうか。
今さらながらそんな風に感じている。