藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

時代とともに。


「お公家さん」「クール」「庶民」「天才」「君臨」…
元副知事の青山氏の分析による都知事評だ。
美濃部さんから舛添氏まで。

記事の題は「都知事の間違えない選び方」となっているが、自分は「都知事になったら心得ること」ではないかと思う。

人の才覚に「一かゼロか」と言うほどの差はそれほどない。

トップアスリートに求められるほどの「才能の粒」と「努力」に比べれば「元々の資質」よりも「役割としてのリーダーをどう務められるか」という教育が全く行き届いていないのではないかと思う。
帝王学とまでは言わずとも、「リーダになるのなら」という程度の基本的なマナーとか振る舞いについてはほとんど耳にしない。

百万を超えるような集団の長になってなお「領収書の処理について」とか「経費の使い方の心得」とかをマスコミが取り上げ、それの釈明に追われるというような状態そのものが「リテラシーのお粗末さ」を示していると思う。

人は誰しも、セコくケチくさい「矮小な気持ち」は持っていると思う。
そんな裸に近い衣装のまま、晴れの舞台にいきなり上がってしまうから「トンデモない醜態の場」を演出するのだ。

"一構成員"ではなく、"集群のリーダー"になるのなら、「相応の振る舞い」は身につけねばならないということだろう。

学やリテラシーがあるかどうかではなく、振る舞いや態度の問題だということを認識しないと、こうした「恥ずかしい系」のリーダーの醜聞は後を絶たないのじゃないだろうか。

幕が上がった舞台の役者は、役者として振る舞えないなら降りるしかないのは道理である。

「もう失敗できない」都知事の間違えない選び方

明大教授・元都副知事 青山佾
 政治資金の「公私混同」使用を批判され、辞任した舛添要一氏の後任を決める東京都知事選挙が行われる。任期半ばで辞任した都知事石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏に続いて3人連続、「政治とカネ」の問題での辞任は猪瀬氏についで2人連続となる。東京五輪を4年後にひかえた国民にとって、今度の都知事選びは失敗できない一大事だ。首都・東京の顔にふさわしい知事とはいかなる人物であるべきか。都知事選びで知っておくべきポイントは何なのか。都庁に30年以上勤務し、石原知事のもとで副知事も務めた青山氏に、歴代知事を振り返りつつ執筆してもらった。
変化する都知事像〜「東京の問題」をどうとらえるか

巨大組織のトップにふさわしいのはだれか。リオ五輪にあわせてブラジル国旗をイメージした緑と黄色にライトアップされた都庁舎(4月27日撮影)
巨大組織のトップにふさわしいのはだれか。リオ五輪にあわせてブラジル国旗をイメージした緑と黄色にライトアップされた都庁舎(4月27日撮影)
 有権者が1000万人を超す都知事選で当選するには200万票前後が必要で、だれもが名前を知っている人物でなければ勝利するのは難しい。だが、知名度抜群だった猪瀬、舛添両氏が続けて途中辞職した後に行われる今回の知事選で、いまさら「感じのいい人」とか「有名な人」とかいう選び方をする人はいないと思う。

 「福祉に理解がありそうな人」「経済や雇用に重点をおく人」などという選択基準はあるかもしれない。しかし、ちょっと待ってほしい。都知事は、まちづくりから環境、福祉や経済に至るまで広い分野に責任をもつ立場だ。特定の分野に強いというより、全体に目配りしてバランスをとることができる資質も必要だ。

 時代ごとに求められる都知事像も変わってきた。1947年に初めて選挙で選ばれた都知事は安井誠一郎氏で、戦後復興期に3期務めた。その後を継いだ東龍太郎氏は1964年の東京オリンピックに向けて都市開発を積極的に進め、首都高速道路都営地下鉄、環状七号線が整備される。

 1967年には「ストップ・ザ成長」を掲げ、そうした都市開発路線とは一線を画す革新系の美濃部亮吉氏が知事に就任。老人福祉手当や老人医療費無料化といった福祉政策の充実を目指した。美濃部都政が3期12年続くと今度は、鈴木俊一氏が「美濃部都政のバラマキ福祉」を批判して当選し、財政再建に取り組む。このあたり、都民のバランス感覚は生きていたと言ってよいかもしれない。「地味だ」と言われながらも官僚出身の鈴木都政は4期16年続いた。

 青島幸男氏は鈴木都政が企画した臨海副都心における都市博覧会の中止を訴え、ほとんどたった一つのこの政策で、しかも選挙運動をしないで当選した。青島知事が1期で引退すると石原氏が「ノーといえる」と強いリーダーシップを標榜(ひょうぼう)して当選し、4回の当選を重ねた。ここまでは、前知事のアンチテーゼで知事の座を射止めるというわかりやすい構図だった。

 3期以上当選を重ねた美濃部、鈴木、石原の3氏の共通点は「政策の特徴」が鮮明であるということだ。これに対して途中辞職した猪瀬、舛添両氏は政策の特徴が鮮明ではない。もちろん両氏にも、政策に対する強いこだわりがそれぞれあったかとは思う。しかし、それが鮮明には表れていなかった。短命に終わったからでもあるが、美濃部、鈴木、石原3氏とも知事選挙のときから声高に叫んでいた公約に対する執着があった。

 ひとことでいえば、その時代の「東京の問題」は何か、ということをきちんと主張する知事を選ぶことが大切である。選挙では、東京が最も解決しなければならない課題を見極め、それを解決する道筋を提示しなければならない。

2016年07月11日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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明大教授・元都副知事 青山佾
君臨タイプは向かない、「親政府」か「反政府」か

報道陣に囲まれる猪瀬都知事(当時)(2013年4月撮影)
報道陣に囲まれる猪瀬都知事(当時)(2013年4月撮影)
 短命に終わった猪瀬、舛添両氏の印象は共通して「親政府」であった。ご本人たちには異論があるかもしれないが、政府に対して手痛い一撃を与える場面がなかったどころか、両氏の時代には東京都の財源がかなり国に取り上げられてしまった。

 東京都は首都でありながら、いや、首都であるがゆえに日本の政府と非常にデリケートな関係にある。地方出身の政界の実力者は一般に、東京都を“富裕団体”とみて財源を取り上げようとする。これに対して都民は、貨幣経済上の統計に表れた数字とは別に、地方都市の人たちの方が生活の豊かさを享受しているように感じているようだ。都知事は、この意識のギャップを巧みにくみ取らないと務まらない。

 猪瀬、舛添両氏の共通点は、それぞれの場面で都政に「君臨」したがっていたようにみえる点である。これまた本人からは決してそんなことはないと反論があるかもしれないが、少なくとも、君臨したがっているように勘違いされる傾向がある。

 君臨しようとする人は都政には向かない。なぜなら、都知事の職は、勝手なことはできないように、精緻に出来上がった民主主義的な機構の上に成り立っている。職員は警察、消防、教員から交通、上下水道そしていわゆる知事部局合わせて16万人以上いるが、それぞれ試験を通って採用される。管理職への昇進もそれぞれの分野で試験制度がある。欧米のような政治任命の制度は原則としてない。あっても特別秘書などに限られる。

 予算も、綿密な検討を経て編成され、ひと月以上の議会審議を経て決定される。東京都に限った話ではないが、条例も都議会の議決を経て成立する。副知事も議会の承認が必要である。舛添知事が辞職した同じ日に副知事4人の選任が議会において同意されているが,「辞職する知事が提案するのはおかしい」という人はいない。知事が恣意的に決められない事柄が多いのである。

 石原知事がディーゼル車排ガス規制を宣言したのは1999年3月の立候補会見、都議会で条例が成立したのが2000年12月、実施が03年10月だから実に4年半かけている。その間に粘り強く業界を説得し、世論にアピールし続け、周辺県の同調を得る努力を重ねたのは記憶に新しい。

海外から尊敬される人物を

政治資金の問題で批判を浴び、厳しい表情で登庁する舛添都知事(当時)(2016年6月20日撮影)
政治資金の問題で批判を浴び、厳しい表情で登庁する舛添都知事(当時)(2016年6月20日撮影)
 東京都知事になったからといって、ただちに強大な権限が手に入るわけではない。重大な責任を負うことになったと理解すべきである。知事は権力者でなく責任者である。職員は、知事に対して強いロイヤリティー(忠誠心)をもっている。とことん尽くす。しかしそれは子分になるということを意味しない。都民が選んだ知事だからである。子分を集めてお山の大将になりたい人は都知事に向かない。議会との間でも職員との間でも適度な距離感を保ち、適度な緊張関係にあることが望ましい。

 大学の法学部法律学科を卒業した人でもふつう、民事訴訟法や刑事訴訟法は学んでも地方自治法地方公務員法は教わらない。東京都知事の権限と責任は地方自治法その他によって厳密に規制されている。そもそも国は議院内閣制だが、地方自治体の首長と地方議員は住民によってそれぞれ直接選挙で選ばれる二元代表制。都知事と都議は互いにインディペンデント(独立)である。

 東京都政は特に、特別区をもち、政令指定都市をもたないから他の道府県知事と制度がかなり違う。都知事になった人はまず、この点を理解しないと仕事ができない。

 都知事は、ひとことでいえば東京都の最終的な決定者であると同時に対外的な代表者である。東京は世界的な存在だから、当然、海外に行く機会は多い。20年オリンピックを控えているからなおさらである。

 舛添知事の海外出張が多すぎる、多額な費用をかけていると批判されたが、海外に対するシティーセールスや政策交流は都知事の重要な職務である。経費の使い方については改善すべきと思うが、海外諸都市との交流は、今後ますます重要となっていく。対外的に恥ずかしくない知事を選ぶべきだ。海外の人が日本人を尊敬するのは語学でなく、人品骨柄に対してである。

2016年07月11日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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明大教授・元都副知事 青山佾
お公家さん・美濃部知事、クールな鈴木知事

<1967年以降の歴代知事の特徴>(敬称略)

 歴代知事の特徴をまとめたのが上の表だ。美濃部知事のタイプはお公家さんとした。美濃部知事の政策は弱者の味方だったが、美濃部さん自身のパーソナリティーはそこにいる相手の痛みを共に感じるというタイプではなかったように感じた。むしろ形式を重んじる人だった。

 私は当時の政策室秘書係長として美濃部知事とそのブレーンの小森武さんの連絡役を務めていた時期があった。小森さんは労組などが資金を出した「都政調査会」の運営に携わり、裏表の人脈を駆使して美濃部知事を12年間にわたって支え、「陰の知事」とも呼ばれた存在だった。他人の痛みをわかるタイプは小森さんの方だった。小森さんの政策が弱者の味方だったのだ。ブレーンが誰であるかは大切なことである。

 鈴木知事はクールなタイプである。私は高齢福祉部長のとき、鈴木知事と細かいことでちょっとした意見の対立があった。鈴木知事の希望を相手方が拒んだので、結果として私の意見が通ったのだが、その結論が出たとき鈴木知事はあっさりと「君の言う通りにしよう」と言った。そのとき鈴木知事は84歳だった。それ以来私は鈴木さんに心服して、退職した鈴木さんの99歳、白寿のお祝いのときまで、とてもいい交流があった。

無人島に一緒に暮らすなら青島知事、世論読みの天才・石原知事

無党派の圧倒的な支持を受けて当選した青島都知事(当時)(1995年4月)
無党派の圧倒的な支持を受けて当選した青島都知事(当時)(1995年4月)
 青島知事は自分の身の回りのことはなんでも自分でやる人で、無人島で一緒に暮らすなら、この人がいいというタイプである。ヨーロッパやアメリカの市長を訪ねると自分でお茶を入れてくれる人がいるが、そういう意味では海外で通じる人だ。反骨精神が強い点も庶民感情にフィットしていたと思う。

 石原知事は、世論を読む天才である。アメリカ一辺倒はだめ、親中国一辺倒はだめ、ということをかなり早くから主張していた。知事の主張は世論である、ということを最も体現していた知事である。都庁は石原知事時代には世論調査をする必要がなかった。知事の発言が世論だからである。

 私は副知事時代に石原知事を何度か怒らせたが、石原知事が怒るのは君臨しようとして怒るのではなく、対等の立場で怒っているように感じた。怒るのも無理ないな、といつも思った。

在任中最後の庁議で幹部職員に挨拶し、笑顔を見せる石原都知事(当時)(2012年10月31日撮影)
在任中最後の庁議で幹部職員に挨拶し、笑顔を見せる石原都知事(当時)(2012年10月31日撮影)
 だからといって、必ず知事の言うとおりにしようとは思わなかった。世の中は天才の思うとおり動かないので、私たち凡才が考えた政策の方が政策として成立する場合も多いのである。それでも私は4年間の任期を全うさせていただいたので、石原さんは君臨しようとする独裁者ではなかった。むしろ私たちと話すときには、私たちの興味と関心があることを話題にするタイプであって、私は石原知事の話を聞くと心がずいぶん豊かになった気がしたものである。人々に愛される、という要素も知事にとって必要な資質ではないか。

 1000万人を超える東京都知事選挙有権者の皆さん一人一人が、少しでも深く突っ込んで、都知事に必要な資質を考え直して投票していただければ東京の未来が明るくなると思う。


プロフィル
青山◎( あおやま・やすし )
 明治大学公共政策大学院教授。東京都農業会議会長、東京都社会福祉協議会会長、都市調査会代表等を兼務。博士(政治学)。1943年、東京生まれ。67年、東京都庁に入庁し、計画部長等を経て石原慎太郎知事のもとで東京都副知事として危機管理・都市構造・財政等を担当。2004年から現職。08〜09年米国コロンビア大学客員研究員。著書に『小説 後藤新平』(学陽書房ペンネーム郷仙太郎で執筆)、『都市のガバナンス』(三省堂)、『痛恨の江戸東京史』(祥伝社)、『世界の街角から東京を考える』(藤原書店)など。
 ◎は「にんべん」に「八」「月」を重ねたもの。

2016年07月11日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun