本と新聞とテレビラジオ、しか情報流入のチャンネルがなかった50年前。
今は情報の蛇口から溢れ出る洪水に、ともすれば溺れそうになる。
改めて、一日の自分の時間を「何に費やすか」というのは一昔前よりも重要な問題だと思う。
書物の情報を写譜して写していた時代とは構造が変わっているのだ。
日常生活でも驚くのは「同じ情報の瞬時性」だ。
事件や国際ニュースなどが、ほぼ同時にかなりの人の間で共有されている。
つまり「それだけのアンテナを、日常的に張りめぐらしている」ということだろう。
こういう努力は本当に必要だろうか。
本当は一日に一回とか週に一回程度でも遜色ない情報が、瞬時に世界を駆け巡る。
「そこ」にアンテナを張っていると、どうしてもそういうニュースに振り回されてしまう。
yahooやgoogleのニュースサイトを一時間に何度もチェックしているのは、実は生産的ではないだろう。
重要なweb上の情報。
編纂され、書籍になっている情報。
書籍にもならないが、「対人」を通してだけ得られる情報。
そんな風に「自分自身のアテンション」を分けて考えていないと、常にスマートフォンでしょっちゅうニュースやメールの着信をばかり確認し、「それ」が日常動作になって"落ち着かない人"になりそうだ。
自分の時間は有限だから、どんな習慣で過ごすかというのはこれからは大事なことなのではないだろうか。