藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

言っておくこと。

日本では高齢化が急速に進む分、老いも若きも準備がない。
終戦から急に人口が増え、急速に高齢化が進むという「初体験」ゆえだ。
「逝く側」も「看る側」も。
お互いに「戦後の経験の集積がない」ということが混乱を来しているのだと思う。

日常、生活していると「あえて結論を出さない」のが楽なことってとても多い。
「面倒なことは先送る」というのはちょっとした知恵である。

けれど、けれど。
「自分のこと」については決断しておくほうがいい。
だって自分のことだもの。
どこまで周囲がわがままを聞いてくれるかはともかく。
老いた自分が「最後はどう過ごしたいのか」という言いにくいこと、をどこかに残そう。

奇特にも自分の面倒を見てくれる人がいたなら、せめてその人に気を揉ませるようなことはしたくない。
これからの「せめてものマナー」と言えるのじゃないだろうか。

自分は延命治療、不要です。

最期の医療、財政の宿題 患者の意思に解を探す 支え合いの境界(1)

 年に130万人近い人が亡くなる今の日本。最期に至るときをどう支えるのか。取材班はこの問題と向き合おうと思った。

救急車で運ばれてきた患者に救命処置を施す医師や看護師(東京ベイ・浦安市川医療センター)

 厚生労働省で検討が進んでいる案件がある。2018年度に改定する医療サービスの公定価格で「終末期」に焦点を当てようとしているのだ。「多くの高齢者の生活の質(QOL)を高める」という看板の裏には医療費の抑制がある。

■終末期に1.2兆円

 厚労省には苦い記憶がある。08年に「終末期相談支援料」を導入したところ、「延命治療をやめたらお金がつくのか」と与野党から批判を浴び、3カ月で凍結した。復活の気配もあるが、「どこまでできるか分からない」(厚労官僚)。

 レセプト(診療報酬明細書)情報に基づく鈴木亘学習院大教授の研究から取材班が試算したところ、65歳以上の死亡前3カ月にかかる医療費は1兆2千億円に上ることが分かった。

 終末期医療を財政と絡めることを否定する声もある。二木立日本福祉大相談役・特任教授は「必要な救命ケアの差し控えにつながりかねない」と語る。命を守る現場は何を思うのか。

 4月中旬の午前6時40分。東京ベイ・浦安市川医療センター(千葉県浦安市)に80代女性が運び込まれた。既に心肺は停止。医師や看護師ら10人が人工呼吸や心臓マッサージを進めた。

 「脈が戻る可能性はゼロです」。現場統括の志賀隆医師が女性の娘に蘇生措置の中止を告げた。延命措置はどこまでするか。「家族が迷えばすべてやる」。救急専門の大高病院(東京・足立)の大高祐一院長が原則を教えてくれた。

■家でみとる選択

 ぎりぎりの判断が迷いを生む。「点滴で1〜2カ月延命し、最期にQOLを下げるのが幸せなのか」。訪問診療で1千人をみとった三重県四日市市の石賀丈士医師は話す。病院でみとる割合は全国平均の約8割に対し、同市は68%と最低水準。本人の意思を尊重する現場に一つの解がある。

 小林香代子さん(88)は1年ほど前、入院先で「もって1カ月」と言われオレンジホームケアクリニック(福井市)の在宅医療を選んだ。薬を控え家族で食卓を囲み、体重は5キロ増えた。「体のバランスを薬で崩したくない」(紅谷浩之医師)。「長い間ありがとう。あとちょっと我慢してね」。家族に向ける小林さんの表情は穏やかだった。

 3月下旬、東京・永田町の議員会館石破茂衆院議員の勉強会が静まり返った。日本赤十字社医療センターの国頭英夫医師が薬の費用対効果の議論を深めるべきだと説いた。「次世代にツケを回すのは将来の患者を見捨てているだけ」。スライドにはスペインの画家ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」があった。

 社会保障制度で誰をどこまで支えるのか。その境界を探っていく。