藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

表現の妙。

年長者には決してできず。
圧倒的に若者の、それも十代の言葉ってある。
KYとかめんどくさい、というのとか。

「盛った」「詰んだ」「終わった」。
一言でその状況を表す表現力は凄まじい。

マンスプレイニング。

何それ?と思ったが同様の納得があった。

男が女性に「偉そうに一方的に語ること」だそうだ。
マン+エクスプレイン(説明)が元だという。

うまいことを言う。
男って(女性のように)噂話でひたすら空間を埋める、ということはあまりしないけれども、こういう「一方的な語り」で結構周囲に迷惑をかけているらしい。
それも異性に対して、というのはかなり見苦しい光景である。
「ああ、それは実はお上の規制があってね…」とか
「カロリー消費するには、細胞のミトコンドリアの働きが重要でさ…」
とか。

男とはそうして「自分のあるある」をアピールすることが一番の快感なのかもしれない。
それにしても「そういう行為」をマンスプレイニング、と名付けてくれた隠喩は見事だと思う。
気をつけていたいものだと思う。

マンスプレイニング考 山内マリコ

 美容院で鏡の前に座り、雑誌をめくっていたときのこと。アシスタントの若い女性が誌面をひょいと覗(のぞ)き込み、「あ、この映画、『きぐるいピエロ』ですよね」と言った。

 惜しい。正解は『気狂いピエロ』。「狂い」の部分を「ちがい」と読む。以前は普通に使われていた言葉だが、自主規制の激しい昨今はこの言葉をうっかりテレビの生放送で言うと、謝罪しなくてはいけない。このように差別用語とされ、いつの間にか消えた言葉は多い。他にも例を挙げたいところだけど、やめておいた方がよさそうだ。

 言葉狩りの件は一旦脇に置いて、とにかく今はこの美容師アシスタントの若い女性に、正しい題名を教えておかなければと思った。なぜなら私もずっとこの映画のタイトルを「きぐるい」と呼んでいた過去があるから。彼女に放送禁止のくだりを伝え、さらに「テレビで放映するときはわざと『きぐるい』って読んだりもするらしいけどね」と注釈を添えておいた。彼女は「へえ〜そうなんですね!」と目を輝かせた。

 ジャン=リュック・ゴダール監督の名作『気狂いピエロ』のことを、もっと詳しく教えたい。きっと彼女がその映画のタイトルを知っているのは、ヒロインを演じる女優アンナ・カリーナの魅力やファッションを、女性誌がたびたび紹介しているからだろう。私もそうやって、女優の美しさや着こなしに惹(ひ)かれて、小難しい映画を観(み)るようになった。

 今、目の前に、15年前の自分がいる。この若い芽を大切にしなければ。文化系というかサブカルと呼ぶべきか、この手の映画に興味を示す若者は年々減っていると聞く。この貴重な機会に、若い彼女に、素敵(すてき)なフランス映画を伝導しなければ!

 しかしここで、ぐっと丹田に力を入れ、己を制した。私は鬱陶しい映画ファンであると同時に女性でもあるので、この一連の現象に付けられた名前を知っているのだ。

 マンスプレイニング。

 訊(き)かれてもいない質問に勝手に答え、悦に入りながら長々と説明して相手を困らせる行為。主に男性が女性にやりがちなので、man(男)とexplain(説明する)がかけ合わされている。ネット時代に山のように出現した中でも、指折りの新語だ。

 この言葉を知ったときは、「うまいこと言うもんだなぁ」と感心した。たしかにある種の男性は、とくに若い女性を無知と決めてかかっていることが多く、やや見下した調子で偉そうに語ってしまう、訊かれてもいないのに。彼らの気持ちが今わかった。説明したい! このうら若き女性に、ヌーヴェル・ヴァーグのこととか語りたぁ〜い!

 だが、待て、私。実は彼女が、町山智浩さんの映画解説の熱心なリスナーだったりしないか? それに第一、「へえ〜そうなんですね!」と目を輝かせたのは、ただの合いの手だったんじゃないのか? 若い女性の目は概(おおむ)ね輝いているし、リアクションも溌剌(はつらつ)としている。本当に興味を持って深く知りたければ「教えて下さい」と言うだろう。

 なにより、彼女は差別用語をお客様である私の前で口にするのをはばかって、気を遣ってわざと「きぐるい」と言い換えたのかもしれない。

 「マンスプレイニング」が酷い男性差別の言葉として使えなくなる日も、きっと来る。

(小説家)