藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

専門家には見えないこと。

(経済白書は)
「もはや『戦後』ではない」と、したためた。

戦後七十年を過ぎ。
自分も五十年以上生きてみて。
今のような時代でさえ"先"を正確に読むことはなんて難しいのだろう。
きっと戦国時代だって、泰平と言われた江戸時代も幕末も、戦前も戦中も戦後も。
いつも「一寸先は見にくい時代」だったのに違いないと思う。
その時代に生きる、というのはつまりそういうことなのだろう。
行き先が「スィースィー」と見えないのが自然界に生きるということなのだ。

実証に基づく政策立案(evidence-based policy making)で

最低は、なんと専門家や実務家の意見。
霞が関が常用する審議会、有識者からの聞き取り、パブリックコメントである。
現に日本の政策立案のほとんどがビフォー―アフター方式だ。

これこそ誤謬だ。
アベノミクスが主張する「GDP増加とか、雇用増、賃上げ、企業利益、設備投資」について正しく見ていないといけないのは自分たち一般市民だ。
専門家の専門用語とロジックに気後れしてはいけない。
政治を見る目があってこそ先進国と言えるのではないだろうか。

アベノミクス 進化するか 足りないのは科学の手法 上級論説委員 大林 尚

 東京の残暑は厳しい。盛夏に公表されるのが常だった経済白書は、かつては夏の季語として歳時記にも載った。

 敗戦から10年あまり。1956年(昭和31年)の白書の結語に、官庁エコノミスト後藤誉之助は「もはや『戦後』ではない」と、したためた。自信を取り戻した日本を象徴する成句として名高いが、後藤はその実、後に続く一節に自らの意を込めた。

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 「我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる」

 日本人に自立を促す一言一言に、重みがあった。

 橋本行革とともに経済白書は消えた。経済運営を内閣府が担うようになった2001年、その役割は経済財政白書が継いだ。だが読み手をひきつける名句は目にしない。時の政権の政策を追従する記述に、いきあたることもある。

 17年度版は目下、最大の課題である人手不足を起点に、デフレ脱却を導く処方箋に挑んだ。締めくくりに「労使ともに賃金上昇を抑えて雇用と業績の安定を優先する縮小均衡を打ち破れ」と、正社員の利益を擁護しがちな労組団体と経営層の双方に安定志向を見直すよう迫った。戦後3番目に長い景気上昇が米中経済に寄りかかっていることへの危機感の表れでもあろう。

 聞き慣れぬ略語だが、EBPMを意識しているのが今年度版の特徴だ。エビデンスベースト・ポリシーメーキング。「実証に基づく政策立案」である。霞が関官僚の間でひそかな流行語になっているEBPMは、政策が生み出す効果を科学的に評価・分析し、その軌道修正や進化に役立てる手法だ。いわば皮膚感覚の否定である。はやらせたのは山本幸三前行革相だった。

 白書はたとえば、長時間労働の解消や在宅勤務に積極的な企業はそうでない企業より労働生産性が高いという分析結果を、正社員比率や資本装備率が同じ傾向どうしを比べて導いている。また米経済学者が算出したグローバル不確実性指数の上昇から半年〜1年遅れて日本の輸出数量が減速する事実を突き止めた。

 現実の政策立案にEBPMはどう生かされるのか。

 先を走るのは英国だ。90年代、ブレア労働党政権が教育予算を増やした決め手は、貧困地域に暮らす子供に早期教育や家庭支援などを提供する総合計画が、子供の犯罪と家庭崩壊を防ぐ効果を持つと実証した社会実験だった。

 医療政策では、新薬の経済性について患者の暮らしの質や副作用の度合いを勘案しながら余命を延ばす効果を推し量る指標をつくった。英政府は指標を薬の使用を薦める際の参考にする。

 10年の下院選に勝利したキャメロン保守党政権は、労働党政権の政策を覆しながらもEBPMは堅持した。

 米国ではオバマ前大統領が主導したEBPM評議会法が民主、共和両党の賛成で成立した。15人の専門家で構成する評議会は(1)政府が持つ詳しい行政情報を研究者に活用・分析させる体制(2)厳密な科学的手法で政策を評価し、効果との因果関係を解明する仕組み――を整えるのが使命だ。こちらもトランプ政権が評議会を継続させている。

 新興国で採用したのはインドだ。米シカゴ大の協力でグジャラート州政府が環境汚染対策に成果をあげている。

 では厳密な科学的手法とは何か。シカゴ大公共政策大学院の伊藤公一朗助教授が東京財団での講演で披露した平易な例を紹介しよう。

 電力会社が電気料金を単位あたり5円上げたとき、電力の平均使用量が5単位減ったとする。このとき導かれがちな「電力切迫時に値上げは需要を減らすのに有効だ」という推論は、一見もっともだ。これを「ビフォー―アフター方式」と呼ぶことにする。

 ここで推論への反論が生まれる。主なものは2つ。第一は、使用量が減ったから料金を上げたのではないか。第二は、天候不順などほかの要因が使用量と料金に影響を及ぼしたのではないか。値上げで使用量が減ったという因果関係は、2つの反論の可能性を取り除かねば成り立たない。

 厳密な科学的手法を追求した社会実験の代表が製薬会社などの治験だ。無作為に選んだ2つの集団の一方に薬を与え、もう一方には与えない。一定期間後に両者を比べ薬の効果・効能や安全性を測る。

 EBPMを働かせるのに大切なのは、ひとえにエビデンスの質だ。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの家子直幸氏らによると、質が最も高いのは無作為の社会実験、それも複数の実験を系統立てて組み合わせるやり方だ。

 最低は、なんと専門家や実務家の意見。霞が関が常用する審議会、有識者からの聞き取り、パブリックコメントである。現に日本の政策立案のほとんどがビフォー―アフター方式だ。もちろん安全保障のように無作為の社会実験がなじまない政策分野はある。

 今月3日、改造内閣を発足させた安倍晋三首相はこう力を込めた。「4年間のアベノミクスで雇用は200万人近く増え、正社員の有効求人倍率は1倍を超えた。やっとここまで来た」。そして「しかし、まだまだすべきことがある」とアベノミクス加速を訴えた。だが繰り出した政策と成果との関係は判然としない。

 3本の矢、新3本の矢、一億総活躍、働き方改革、そして人づくり革命――。どの策がいつ、何に、どう効いたのか。山本行革相は閣外へ去ったが、EBPMをいっときの流行語に終わらせるのは、まことにもったいない。