藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

他人はあっぱれ。


日経、プロムナードより。
木皿泉さんの記事。
こういう記事を書く人が作家なのだと思う。

 今なら彼らの心情がわかる。自分に才能があるかどうかなんてわからず、世間がランクをつけてくれる場所にさえ、たどり着いていない。
ただ闇雲に走っている状態だった。
それはあまりにも辛(つら)い。
だったら、ライバルをつくって、そいつと対等な自分というものをつくっておきたかったのだろう。
自分の位置を、嘘でも明確にしておきたかったのだ。

こういうメンタリティを、自分たちは分からずに過ごして、外部に対して反応していたりする。
怖いことだ。
自分の定位置を保っておきたいだけなのに、
「他者」からすれば「対抗するもの」だと思われるだろう。
他者に対しても無用のストレスだと思う。

私はうらやましいと思うより、天晴(あっぱ)れだと思った。私自身、誰かにうらやましいと思って欲しいなどと考えたこともない。
私はどうあがいても私である。

他人と自分の比較、というのは自我がある限り逃れられない気持ちなのかもしれないけれど。
自分との比較、よりはその他人が「どれほどすごいか」ということを素直に感じたい、と常々思う。
私のことなんて関係ないから。

作家の言葉は秀逸だ。

どちらがうまかったかなんて聞くのは、ナンセンスである。メロンはメロンで、肉は肉である。

肉とメロン 木皿泉
 ダンナが中学生のとき、めっぽうケンカに強い同級生が二人いたそうである。まわりの者たちは、二人が戦ったらどっちが勝つのか、いつも噂していた。修学旅行の夜、とうとうその二人がぶつかって大ゲンカになったそうである。

 伝説の二人が修学旅行の夜に因縁の対決である。「座頭市と用心棒」あるいは「ゴジラモスラ」のような、夢の組み合わせだったらしい。強い者同士の戦いというのは、男の子を興奮させる。ダンナも友人たちも、とうとう今夜決着がつくと固唾をのんで見守っていた。そこへケンカなどしたことのない男子が、「お前ら、やめろ」と仲裁に入ってなぐられ、ケンカは流れてしまったそうである。今でも、当時の仲間が集まるとその話が出るのだが、仲裁したのが誰だったのか、みんなまるで覚えていないのだそうだ。

 「何でお前やねん」という経験は私にもある。シナリオ学校に通っていた頃、「ぼくら以外はみんなカスや」と同じ教室の男の子に言われたことがある。ぼくらとは、彼と私のことらしい。彼が何の根拠でそんなことを言っているのか、さっぱりわからなかった。好きだとか、きれいだとか、そんなことは言われたことはないのに、なぜかオレたちはライバルだよねというようなことを、一方的によく言われた。将来、必ずスピルバーグと仕事をすると断言していた自信満々の男の子も、プロになれるのは私と自分だけだと言っていた。そんなことを言うのは、たいてい才能のない愚鈍な男の子だった。

 今なら彼らの心情がわかる。自分に才能があるかどうかなんてわからず、世間がランクをつけてくれる場所にさえ、たどり着いていない。ただ闇雲に走っている状態だった。それはあまりにも辛(つら)い。だったら、ライバルをつくって、そいつと対等な自分というものをつくっておきたかったのだろう。自分の位置を、嘘でも明確にしておきたかったのだ。

 私も、どっちへ走っていいのか、まるでわかってなかった。たまたま入った作家グループの先輩の作品を読ませてもらって、なるほどこんな感じで書いてゆけばいいのかと思った。それまでは、名作とよばれるものばかり読んでいて、作家になるのは無理かもしれないと諦めていたのだ。それがきっかけでコンクールに入賞した。先輩はとても喜んでくれて、私の耳元で、「全員ごぼう抜きにして、そのまま走ってゆけ」とささやいた。その全員の中に、先輩も入っていることは、その人の表情でわかった。本気で祝福してくれていて、本気で悔しがってくれていた。

 私には、残念ながらその気持ちがわからない。ダンナの作品を読んだときは、ただただ笑い転げ、感心するだけだった。それは、到底、真似(まね)できない、オリジナリティの高い作品だった。私はうらやましいと思うより、天晴(あっぱ)れだと思った。私自身、誰かにうらやましいと思って欲しいなどと考えたこともない。私はどうあがいても私である。

 有名店の高級牛肉をいただいた日に、熊本から高級メロンが届いた。こんなことは、生涯に何度もあることではない。その日の食卓は、まさに夢の頂上決戦である。私たち夫婦は、この商売をしててよかったなぁと、幸せな気持ちで頬張った。どちらがうまかったかなんて聞くのは、ナンセンスである。メロンはメロンで、肉は肉である。

(脚本家)