藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

そこに必要なもの。

プロムナードより。
山の上ホテルは超有名な文豪御用達だが、山内マリコさんの記事を読んで「環境のもたらす力」についてハッと気づく。

会社でもオフィスのレイアウトの良し悪しは、仕事の効率にかなり関係すると言われるけれど、科学的なエビデンスはあまりない。
(ただし、なぜか会社の経営者はレイアウトとか家具の配置とか種類について無類にうるさいのは、どうも「共通事項」のようだ)

例えば自宅の自室。
自分の場合、学生時代は和室の六畳の間だった。
割合広かったが、勉強したりエロ本を見たり、布団を敷いて寝る「この六畳の間」の環境の良し悪しは重要だった。
それから紆余曲折、三十年。

今の自分の部屋は。
無意識に、贅沢でなく機能的に、余分なものを排して、でも「自分に便利なように」設(しつら)えている。
豪華なソファは要らないが座椅子が一つ。
すぐにコーヒーや緑茶を沸かすポットはそばに欲しい。
パソコンはいつの間にかMacタブレットになった。
常に音楽が流れるように、数万円のコンポを買った。
本棚とマガジンラックが手を伸ばせばすぐのところにある。
そのまま飲みタイムになることもあるので、冷蔵庫とレンジもそばに。

自分にとってはこんなのが「創作に必要な環境」なのだと思う。
作家さんが山の上ホテルで感じる密かなオーラも、そんな数々の環境で作られているに違いない。

何があれば安心し、満足して仕事に打ち込めるのか?

科学的に研究したら面白いテーマになるのではないだろうか。

プチホテルで執筆を 山内 マリコ
 年内に長編小説を上梓(じょうし)するため、この夏は改稿作業に追われていた。8月31日脱稿(原稿を書き終えること)が私に課せられた宿題……というわけで、これをクリアするため、カンヅメになった。

 この場合の「缶詰」とは、一体どういうものか。ネット検索によると、「(作家が)執筆促進目的の軟禁場所としてホテルに強制滞在させられること」。この説明は「山の上ホテル」のウィキペディアに載っていた。

 神田駿河台にある山の上ホテルは、三島由紀夫をはじめ、昭和の文豪たちがたいそう気に入り、定宿にしていたことで知られる。

 常盤新平の『山の上ホテル物語』には、山口瞳のこんな言葉があった。「ここは小説家のために建てられたのではないかと思われるくらいに私達に都合よく出来ている」。天ぷらからバーまで、名店ぞろい。

 畏れ多くて山の上ホテルに泊まったことはまだないが、私もあちこちのホテルでカンヅメになっている。池波正太郎山の上ホテルに行くのは「家人を休ませる」ためだったそうだが、私の場合は「家事から解放されて執筆に集中するため」だ。

 掃除の免除も嬉(うれ)しいが、なにより食事の支度をしなくていいのがありがたい。集中力を高めていいパフォーマンスをするには、栄養たっぷりで美味(おい)しい食事が不可欠だ。余裕があるときは、料理がいい気分転換になったりもするけれど、そんなのは月に数回あるかないかの吉日で、多くは「なに食べよう」が悩み事。

 昭和の文豪たちは普段から上げ膳据え膳の生活だったろうけど、こちらは主婦である自分が用意しなければならない。買い出しに調理に後片付け。重労働だ。さらに、夫と猫が退屈そうにしていると、構ってやらなきゃいけないプレッシャーも感じる。そのすべてから逃れるため、自主的にカンヅメになってきたのだ。

 さて今夏、宿題のため、「私をカンヅメにして下さい」と志願した。新刊の版元(出版社)には、執筆専用の部屋が用意されていると聞く。トイレ・バス完備で寝泊まりできるのだそう。出版社の施設なので、自腹を切らなくていい! 私は意気込んで、約20日間分の予約をとった。

 そして初日。編集者さんに案内されたその部屋を見て、私のテンションは少し下がった。大きな机に辞書が置いてあることを除けば、いかにもビジネスホテルという感じの無愛想な部屋だ。「うーん……」。言ってはなんだが自分は、ラグジュアリーな空間が好きだ。ヨーロッパの瀟洒(しょうしゃ)な、プチホテルっぽい、ロマン漂う美しい部屋が好きだ。

 社屋内の一室なので、当たり前だが食事はついていない。「え、ルームサービスないの?」という質問がのどまで出かかった。近くのコンビニか、周辺の店まで食べに出かけることになる。インテリアが質素なのはこらえるとして、メシの調達が自力なのは厳しい。コンビニのおにぎりで傑作を書けと? こちらはその悩みから逃れるため、ここに来たというのに……。

 当初は3泊4日を数セットこなし、追い込みをかけるつもりだったが、キャンセルさせてほしいと申し出た。私は気づいた。なぜ昭和の文豪が、こぞって山の上ホテルを選んだかを。

 きっとそこは、ヨーロッパの瀟洒な、プチホテルっぽい場所なんだろう。そうなんでしょう?

(小説家)