藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

儀礼とビジネス

*[ビジネス]文化はビジネスにあらず。
日経・春秋より。
人類学者マルセル・モースは未開社会の経済原理は「贈与と返礼」にあると説いた。
つまり「略奪」は良いことではなく、対立せずに「贈与」を受けた側は「それに見合う例を尽くす」ということだったという。

つまり「贈り物」をして「感謝を返す」という非常に倫理的な規範があったということらしい。

コラムはこれを関西電力の贈与の話に持っていく批判になるけれど。
 
それにしても「贈与は返礼を促す」いや「返礼を強要する」のだとすると、贈与を要求する側も、また贈与を意図する側もちょっと「未知なる何か」を期待してお互いに腹芸をしていることになって、実に曖昧なやりとりになる。
 
モースのいう未開社会だけではなく、現代社会でも後を絶たない「贈与と返礼」にはどうやら自分たちが昔から抱いてきた感覚があるようだ。
単なる贈与と返礼は美談だが、ビジネスではちゃんと切り離すルールがいい加減必要なのではないだろうか。
 
 
春秋
 
人類学者マルセル・モースは未開社会の経済原理は「贈与と返礼」にあると説いた。対立しがちな部族の間で、食料や財産が贈られ、受けた方はそれに見合う礼を尽くす。略奪的な振る舞いを慎む慣習として社会に定着した。しかし、返礼を怠れば平和の均衡は崩れる。
 
▼かつて、ニュージーランド先住民族マオリは、贈与された物にはハウ(霊的な力)が宿ると信じた。もし返礼できなければ、従属的な立場に落ちてしまうのだ。一見、無償で善意に満ちた贈り物は時に相手を支配する力に転じる。評論家の柄谷行人さんは著書「世界史の構造」で、それを「贈与による権力」と表現した。
 
▼では、この贈り物にはどんな霊力が作用していたのか。関西電力の役員らが、原発が立地する福井県高浜町の元助役から総額約3億2000万円もの金品を継続的に受け取っていた問題だ。国税当局の税務調査で不明朗な資金の流れが発覚した。元助役の資金源は原発関連工事を請け負う建設会社だった疑いがあるという。
 
関西電力はきょう記者会見し、受領者の氏名や受け取った金品の内容を公表する。「個人的なことについては一切答えない」との立場を軌道修正した。もし、未返却の品があれば、正直に申告し、博物館に寄贈したらどうか。「原子力村における贈与と返礼」なる企画展も有意義である。人類学的にも貴重な資料となろう。