藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ネバー・ギブイン。

民主政権の回顧録
歴史的な戦後の政権交代はひとまず収束。
これからは新たな「自民」という局面になっている。

一旦、一瞬政権を手放した自民党が「過去を清算する」という姿勢は何か一度政権を手放しただけの免罪符のようだが、「素人内閣」の後、再び「戦後政治」が繰り返されるという愚かさだけはなんとか回避してもらいたいものである。
一般市民や評論家は常に「現政権」に批判を向けているようだが、それでも維新の風は起きている。
これまではなかった政権交代や第三極の存在は、日本のこれからにとって決して「無駄ではない感覚」を国民は感じていると思う。

一億総中流、を仕上げてきた戦後の決算が、「実はどの辺りで収集するのか」という時代の通過点に我われは差し掛かっているのではないだろうか。
ようやく日本も「政治を熟成する時代」を迎えようとしているような感じがする。
国民の「愚賢」が問われるのもこれからではないだろうか。

【激動2012政界回顧録(上)】「最強内閣」のド素人 「造反」民主崩壊の始まり
2012.12.30 00:32
 「ネバー・ネバー・ネバー・ネバー・ギブアップ。私は大義のあることを諦めない!」
 野田佳彦首相は年頭の記者会見で、チャーチル英元首相の「ネバー・ギブイン(決して屈服するな)」との言葉を誤って引用し、消費税率引き上げを柱とする社会保障と税の一体改革に突き進んだ。まず踏み切ったのは、障害となる「不適格閣僚」の更迭だった。
 「私は安全保障には素人だが、これが本当のシビリアンコントロール文民統制)だ」
 素人自慢の一川保夫防衛相と、マルチ業界との深い関係を指摘された山岡賢次国家公安委員長がその対象だった。ともに前年に参院で問責決議を受けていた。
 「最善かつ最強の布陣をつくるための改造だ」
 内閣改造後、野田氏は胸を張ったが、「素人」の一川氏の後任に据えたのは「ド素人」の田中直紀氏だった。田中氏は野党の格好のターゲットになる。審議を抜けだし国会内の食堂でコーヒーを飲んでいたことを追及されると、憲政史にまれな珍答弁を残した。
 「私は日ごろのクセで食堂に行ったらただ座るのではなく、コーヒーを頼む精神だった」
 野田氏は古代ギリシャの哲学者ソクラテスの「無知の知、という言葉もある」という言葉を引いて田中氏を擁護した。
 ところが4月、前田武志国土交通相にも参院で問責決議が突きつけられた。野田氏は6月、再び内閣改造を余儀なくされる。
 「機能強化のための改造だ」
 「最強の布陣」を5カ月足らずで組み替えた野田氏はこう強弁した。
 この間、消費税増税への協力と引き換えに衆院解散を約束する「話し合い解散」が取り沙汰された。野田氏は2月、自民党谷垣禎一総裁と極秘会談したが、与野党協議入りのめどは立っていなかった。
 野党以上の障害は身内の民主党議員だった。小沢一郎氏率いるグループは増税反対を唱え、野田氏との対決姿勢を強めた。
 「51対49でも決めたら、みんなで頑張る」
 野田氏は2月の党首討論でそう述べ、党の一致結束を呼びかけたが、反対派は「決定プロセスが非民主的だ」と主張、3月の増税法案の党内審査も紛糾した。
 そもそも、党を束ねる役目の輿(こし)石(いし)東(あずま)幹事長が大きなブレーキとなっていた。小沢氏と気脈を通じ、増税法案の成立を防ぐべく、国会対策でもサボタージュや先送り戦術を繰り返した。
 「来年7月に参院選がある。次期衆院選は一緒でいい。ダブル選挙だろう」
 5月には首相の専権事項である解散時期にまでくちばしを入れた。党分裂を避け、衆院選を1日でも先送りすることが輿石氏の狙いだったとみられる。
 国内でぶざまな政権運営が続く中、外交や安全保障の諸課題は山積し、鳩山由紀夫政権で壊れた日米同盟関係の修復は進まない。野田政権は2月、在沖縄の米海兵隊グアム移転と普天間飛行場(同県宜(ぎ)野(の)湾(わん)市)の移設計画を切り離すことで米国と合意したが、民主党外交の脱線は止まない。
 野田氏が外交担当の党最高顧問に任命した鳩山氏は4月、周囲の制止を振り切り、国際社会が制裁強化で足並みをそろえるイランを訪問し、米国の対日不信を増幅させた。イラン国営テレビはさっそく鳩山氏の発言を宣伝に活用したが、鳩山氏はこう反論した。
 「『イランことをやってきたな』といわれているが、決してそうではない」
 その直後、北朝鮮弾道ミサイルを発射した。沖縄・石垣島上空付近を飛ぶコースが想定されたが、失敗に終わった。政府は発射20分後に「わが国としては発射を確認していない」と発表する不手際も見せた。
 東京都の石原慎太郎知事が、沖縄・尖閣諸島の購入計画を表明したのも同じころだ。菅直人政権での中国漁船衝突事件への稚拙な対応などに業を煮やした末のことだった。
 「実行された場合、日中関係に極めて深刻な危機をもたらす」
 石原氏の計画を批判したのは、民主党政権が民間から抜(ばっ)擢(てき)して任命した丹羽宇一郎駐中国大使だ。
 「東日本大震災からの復興、原発事故との戦いは最優先課題だ」
 野田氏はこう繰り返し語っていたが、司令塔となる復興庁が発足したのは、発生から1年近くたった2月だった。一方、原発再稼働への対応で政府はひたすら迷走を続けた。
 「現時点では再稼働に反対だ」
 4月に関西電力大飯原発3、4号機についてそう国会答弁した枝野幸男経済産業相は、翌日には「今日は昨日の段階と違う」と発言を修正した。5月には原発稼働がゼロとなり、政府が再稼働の政治判断に踏み切ったのは6月だった。
 菅氏による原発事故対応に関する各事故調査委員会での検証も進んだ。
 「場当たり的で泥縄的な危機管理」(民間事故調)、「無用の混乱を助長させた」(東電事故調)、「介入は現場を混乱させ、弊害の方が大きい」(政府事故調
 「指揮命令系統の混乱を拡大させた」と指摘した国会事故調は5月に菅氏から公開で事情聴取した。
 「原子力ムラを解体することが改革の第一歩だ」
 聴取で菅氏は東電や官僚機構への責任転嫁と自己弁護を繰り返した。東電本店で、誤解のうえ「全面撤退はありえない」と怒鳴り散らした問題ではへらへらと笑いながらこう釈明した。
 「まあ、私の夫婦げんかより小さな声でしゃべったつもりでありますけども」
 4月、自身の政治資金管理団体の土地取引をめぐる事件で小沢氏に無罪判決が下ると、輿石氏らはすぐさま小沢氏の党員資格停止処分を解除した。小沢グループ反増税活動は勢いを増した。野田氏は5月末、小沢氏と会談して協力を呼びかけたが決裂した。
 野田氏は野党との協調路線に舵(かじ)を切り、自民、公明両党が歩み寄った結果、6月に一体改革関連法案の3党の修正合意が成立した。
 「法案の衆院通過に向けご支援、ご賛同を賜りますよう、心から、心から、心からお願い申し上げる」
 法案採決前日の党代議士会で頭を下げた野田氏に、小沢グループ議員は「ばかじゃないのか」と罵声を浴びせた。
 6月26日、一体改革関連法案は衆院で民主、自民、公明の3党などの賛成多数で可決された。ところが民主党からは小沢氏や鳩山氏ら57人が反対票を投じ、15人が棄権した。
 「残りの人たちで、力を合わせて頑張っていくしかないだろうな…」
 衆院可決から6日後の7月2日夜、野田氏は東京都内のうなぎ店で力なく語った。この日、法案採決で造反した民主党の小沢氏ら50人が離党届を提出した。小沢氏らは、11日には49人で新党・国民の生活が第一を結成するに至った。
 公党としてけじめをつけるためにも、党内に残った造反議員の処分が求められた。野田氏も当初は「厳正に対応したい」と強気の姿勢をみせたが、そこに輿石氏が立ちふさがる。
 輿石氏は、自らの力の源泉である参院の離党議員に関して「まだ同志として力を貸してもらわないといけない」という理由で無罪放免とした。首相経験者でありながら造反した鳩山氏は、当初案で党員資格停止6カ月だったのを3カ月に短縮した。
 軽い処分に気をよくしたのか、鳩山氏はハイテンションで野田批判のボルテージを上げた。
 「党を統治できないで国を統治できるのか!」
 政権与党の混乱をみるにつけ、9月に党総裁選を控える自民党の谷垣氏は、野田内閣への対決姿勢を強めざるを得ない。20日BS日テレ番組ではこう闘志をむき出しにした。
 「今に見ておれ。総裁選の前に衆院解散へ追い込む。そんな悠長なことは言っていられない」(千葉倫之)
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 自民・公明両党が政権奪還を果たした平成24年民主党が崩壊に至る最後のプロセスでもあった。激動の1年を2回にわたり回顧する。=肩書は当時